WORLD'S END

『ゾンビが襲ってきて、世界が滅亡すればいいのにな』

 中学の頃だった。そう確か伏見の部屋でゲームをしていたときのことだ。ゾンビの群れをなぎ倒しながら、八田が言った。

『明日学校に行ったらさ、大量のゾンビに取り囲まれて校舎が孤立するんだ。人間はみんなゾンビ化してて、街中ゾンビであふれてるんだよ』
『…バッカじゃねーの』

 伏見は、気のない素振りでそう返した。
 くだらない。
 人間がゾンビ化するウィルスなんてこの世に存在しないし、そんなのはアニメやゲームの世界にありがちな空想にすぎない。八田が思いつきで口にすることは、子供っぽくて非現実的なことばかりだ。

『軍事衛星をハッキングするとか、少しは実現可能性のあることを言えよ』

 バカにしたように伏見が言えば、八田はゲームの画面から伏見に目を移し、瞳を輝かせて伏見に話の先を強請った。
 だが、これは何だ。
 この状況は一体……。
 ジャリッ、と隣で砂を踏む音がした。

「おいおいおい……マジかよ……」

 半笑いのまま顔を強張らせた八田が、一歩後ずさる。
 夢か現か、はたまた新手のストレインの仕業か。
 前方から迫り来るゾンビの群れに、伏見はチッと舌を打った。
 冗談にしては悪趣味だ。
 どこもかしこも腐臭に満ち、不快なことこの上ない。血の通わない腐った肉の塊になど興味はない。

「伏見、緊急抜刀!」

 警告音を響かせて、鞘が抜けた。どうやらサーベルは使えるようだ。
 いま伏見が立っているこの場所は現実世界の一部なのか、それとも別世界ながら元の世界と繋がっているのか、あるいは夢が作り出したご都合主義というやつか。取り敢えずこの際、力が使えるのならなんでもいい。まずはゾンビどもを切り捨て、不快な状況を打開するのが先決だ。考えるのはその後だ。
 サーベルを構える伏見の横で、けたたましいスキール音が上がった。

「うおりゃああああ! いくぜっ、ゾンビども! 焼き尽くしてやる!」

 高く跳び上がったスケートボードのホイールから火花が散る。
 伏見はサーベルを横に一閃。群れの前方にいた十数体がまとめて崩れ落ちる。だがしかし、その中の数体がのっそりと起き上がり、再びのろのろと歩き出した。腕が落ち、切り裂かれた腹からボトボトと肉片を落としながら、それでも動きを止めない。

「チッ…面倒臭ぇ……」

 伏見は忌々しげに舌を打った。
 元が死体のゾンビは、腕や足を落としたくらいでは再び立ち上がってくる。痛覚もなく、やっかいなことこの上ない。
 一方の八田はスケボーで空中に飛び出し、半円を描くように身を翻す。赤い炎が軌跡を描き、飛び散った火花がゾンビたちに燃え移って赤い炎が上がる。動く屍は、たちまちのうちに黒い灰になった。
 どうやら対ゾンビには青の力よりも赤の力の方が有効らしい。そう見て取ると、伏見は懐からナイフを取り出し、赤の力をまとわせて前方へ投げた。3本のナイフは放射状に広がり、見事3体のゾンビに突き刺さる。ゾンビは一瞬にして燃え上がり、チリチリと燃え尽きて灰になった。
 ゾンビの群れに向かってうなりを上げ、八田のスケボーが加速する。衝突する直前でガンッと音をたててテールを踏み込み跳躍する。バク宙の要領で空中で回転する間に、下は火の海になる。地面に着地すると同時にホイールで地面をえぐりながら反転し、次の標的へと向かっていく。
 八田の攻撃は、一度に直径5メートルほどの範囲を焼き尽くす。明らかに伏見の攻撃よりも効率で勝っていた。
 ふたりは背中合わせになり、それぞれの方向を見据えた。四方八方から無数のゾンビが迫ってくる。
 一呼吸置いて、先に伏見が飛び出した。サーベルで5、6体をなぎ払う。そこへ間、髪を入れず八田が焼き尽くす。
 ふたりの連携でゾンビを倒していく。だが、ゾンビは次から次へとわき出てきて、減るどころか増える一方だ。
これではキリがない。
 伏見は額を伝った汗を袖口で拭った。すでに戦闘を始めて1時間以上になる。さすがに疲れが出てきた。背中に感じる八田の呼吸も荒い。
 はなはだ不本意ではあるが、ここは一旦引くのが得策のようだ。
 伏見はサーベルを縦に振り下ろして青い剣撃を飛ばした。ゾンビの群れがふたつに割れ、道ができる。

「おい、美咲。これじゃキリがねぇ。一旦引くぞ」
「はぁっ!? 何言ってんだ猿比古、ざけんなっ! このオレに、吠舞羅の切り込み隊長の八咫烏に敵前逃亡しろってのか!?」
「うるせぇ。ヘバってる奴がデカイ口きいてんじゃねぇよ」
「誰がヘバってるだと!? だったら今すぐテメーとやってやろうか!?」
「いいから来いよ」

 伏見は八田の腕を掴み、ゾンビの群れの間を走り抜けた。

 ゾンビの群れに追い立てられ、無意識の内に身体が覚えた道をたどっていたらしい。行き着いた先は、Bar HOMRA だった。
 Bar HOMRAの店内はまだ荒らされておらず、カウンターの奥の棚には草薙自慢の酒のボトルが整然と並んでいる。だが、その肩にはうっすらと埃が積もっていた。
 草薙の姿はない。2階に住んでいるはずの周防とアンナの気配もなかった。
 やはりここは元いた世界ではなく別世界なのか。
 表から見えないようにバーカウンターの中に身を潜ませ、マホガニーの板に背を預ける。こんなところを草薙さんに見つかったらどやされるだろうなと思いながら、伏見はミネラルウォーターの瓶を拝借し、一気に煽った。
 伏見の隣に座り込んだ八田は、肩で息をしながら膝の間に頭を埋めている。

「おい、寝るなよ」

 伏見は八田をひじで小突き、半分ほど減った瓶を手渡した。

「おまえ……」

 触れた八田の手が熱かった。
 伏見の視線を避けるように、八田は奪うようにして瓶を受け取り、中身を一気に飲み干した。

「ったく……何なんだよこれは……」

 口元を拭いながら、八田が吐き捨てるように言う。
 肩に触れる八田の身体が熱い。低体温・低血圧の伏見と違い、普段から体温が高い八田だが、これは尋常ではない。力の使い過ぎでオーバーヒートしていた。

「なぁ……猿比古。これは夢なのか……? だとしたら、オレの夢なのか、おまえの夢ん中なのか、どっちだ……?」
「……くだらねぇ」
「だったら何なんだよっ! 尊さんもいねーし、草薙さんもアンナも……」

 ここにたどり着くまでの間、伏見と八田以外に血の通った人間には一人も会っていない。

「みんなどこにもいない。一体ここはどこなんだよっ!?」

 八田の拳が床を叩いた。
 世界の外観は、寸分違わず鎮目町と同じ。だがしかし、人の姿が消えゾンビに取って代わっている。
 クランズマンとしての力が使えるのなら、少なくとも≪王≫の力が及ぶ範囲だということだ。≪青の王≫宗像礼司も≪赤の王≫周防尊も存在しているはず――
 そこまで考えたところで伏見は舌を打ち、思考を止めた。
 わかっていることはただひとつ。

 この"世界"には伏見と八田の二人きり――

 にわかに外が騒がしくなった。ゾンビどもがふたりの匂いを嗅ぎつけて集まってきたらしい。

「テメーら、汚ねぇ手で草薙さんの店に触ってんじゃねぇ!」

 伏見が止める間もなく、八田が店の外に飛び出して行く。
 Bar HOMRAの周囲はゾンビで埋め尽くされていた。無謀にもその中に飛び込んで行った八田の身体が、瞬く間にゾンビに埋もれ見えなくなる。

「美咲!」

 こんな状況を誰が望んだ。
 少なくとも伏見が望んだことではなかった。
 だがしかし、今はそんなことを考えている場合ではない。
 周防尊ならこれくらいのゾンビなど一瞬にして焼き尽くしてしまうのだろう。
 頭に浮かんだ考えを打ち捨て、伏見は八田を飲み込んだゾンビの渦の中へ身を躍らせた。
 ひしめくゾンビの間からわずかにのぞく八田の腕に手を伸ばす。

「美咲ぃー!」
「猿比古っ!」

 指先が触れ合い、逃すまいと互いの手を握り合う。
 伏見はゾンビの群れの中から八田を引っ張り出し、そのまま後方へ向けて放った。
 反動でたたらを踏んだ伏見に大量のゾンビが押し寄せ、伏見の身体が後ろに傾いでいく。

「猿比古ぉぉぉー!」

 視界を埋め尽くすゾンビの間から垣間見た八田の表情に、伏見は小さく笑みを浮かべた。