ニトロセルロース

 黒い箱の中から、ジーとテープの回るアナログな音がする。
 レンズ越しに見る仲間たちの何気ない日常が、薄いフィルムに焼き付けられていく。
 カメラは、気紛れに立ち寄った蚤の市で手に入れたものだ。ガラクタが詰め込まれた木箱の中にそれはあった。
 八田などはタンマツで撮影すればいいと言うが、十束はこの前時代的な撮影方法を気に入っていた。構える腕にカメラの重みを感じながらレンズを向ける方が、撮っているという実感があるし、簡単にDeleteできるデジタルのデータよりも、アナログなフィルムの方がその時間(とき)をリアルに捉え生身の姿を写している気がする。

「そういやおまえ、カメラだけは長く続いとんな」

 草薙の言うように、次々と趣味を変える十束が唯一長く続けているのがカメラだった。
 新しいものに手を出しては直ぐに飽きるのを繰り返す。十束が興味を持った数だけ、Bar HOMRAには様々なものが増えていった。最初のうちは店内に持ち込まれる珍妙なインテリアに渋い顔をしていた草薙も、いつしか呆れ顔でなにも言わなくなった。
「なんにでも興味を持つけど、なんにも執着しない」亡くなった養父に言われた言葉だ。
 次々に新しい趣味を作っては、十束は執着できるものを探していた。たったひとつに執着を見せる伏見を羨ましくも思っていた。
 執着心の欠如は、十束自身に対してもそうだった。草薙や藤島に、「無茶をするな」、「そんなんじゃそのうちホントに死にますよ」と散々忠告されてきたにも関わらず、いつも十束は、「へーきへーき、なんとかなるって!」とお決まりの台詞で躱してきた。

「あの人の側にいると、あなたは、長くは生きられない」

 アンナにそう言われたときも、恐怖はなかった。「やっぱりな」と他人事のように思った。自分の命に対する希薄さには気づいていた。
 失うことを恐れたことも惜しんだこともなかった。それは、人一倍失うことの悲しみを知っていたからかもしれない。失う悲しみを味わわなくていいように、最初からなにものにも執着しないようになっていた。それは、幼い子供が心(ジブン)を守るための自衛本能だった。十束は、幼いころから身に起こるすべてを受け入れてきた。それが幼い十束が自らを守り、生きるための術だった。失うことの悲しみは、3歳のときに置き去りにされた公園に置いてきた。
 そんな十束が出会った周防と吠舞羅は、十束が執着できるくらい大事なものになった。
 ガラクタの中に埋もれるカメラを見つけたとき、アンナの言葉を思い出した。
 なにも残らないのなら、なにかを残そう。なにひとつ留まることなく通り過ぎていく自身の代わりに、フィルムに焼き付けた。そうすることで空っぽの内側を埋めるように、留めるように、カメラを回していたのかもしれない。
 十束にとって思い出は、十束自身ではなく吠舞羅だった。だから、思い出を残すのには飽きなかった。


 撃たれたところが内部から焼けるように熱い。血液が気管を逆流し、呼吸が苦しくなる。血液が流れ出ていくのを感じながら、「あぁ、生きている」と的外れなことを思った。
 十束は、暗い夜空を見上げた。
「あーあ、やってしまった」やはり他人事のように思った。また草薙に叱られる。今回は、いつもの小言程度では収まらないだろう。
 それなのに、周防や草薙や吠舞羅のみんながきっと悲しんでくれるだろうことを嬉しいと思ってしまう十束は、やはり薄情者だ。それでも、十束にとって失いたくない大事なものは限られていたけれど、十束自身が大勢の仲間たちの"大事なもの"になれていたなら悪くはない。この期に及んで、周防や草薙から無責任と称された楽天的な笑みがへらりと浮かぶ。
 自分は周防より先に逝くかもしれない。十束は、漠然とそう思っていた。それは、アンナと出会う前から抱いていた予感だった。
 周防を"キング"と呼んだことを後悔はしていない。草薙が言ったように、周防を王にしたのは石盤で、十束ではない。十束が見たいと願った姿を一番近くで見ることができた。
 けれど、周防の意思とは関係のないところでキングの座に祭り上げる発端となった罪悪感は残っていた。
 これがその報いなら受け入れよう。
 勝手に王に戴いておいて十束が先に一抜けたをしては、周防は怒るだろうけれど。
 せめて自分の代わりに周防を繋ぎ止める枷になればと、仲間たちの姿を映像に残した。
 孤独で優しい王のために。
 それが、最後まで枷でいることもできなかった不出来な家来が、猛獣使いとして最期にできることだった。

――キング。あんたの力は破壊するためじゃなくて、護るためにあるのさ。