fag end

 暦の上では秋だというのに、暑さは一向にやわらぐ気配がない。
 校舎と校舎とを繋ぐ渡り廊下に差し掛かった宗像は、肌を撫でる生暖かい風に、眼鏡の奥で目を眇めた。
 どんなに暑い夏の盛りでもネクタイを襟元まできちんと締め、背筋を伸ばした宗像の姿は、傍で見ている者の目に涼しげに映る。だが、暑さを感じていないかといえば、それは別の話だ。宗像とて暑いものは暑いし、不快なものは不快だ。寧ろ暑さは苦手としている。暑さに対して暑いだとか不快だとか、感情を動かすことすら腹立たしい。宗像の体温を感じさせない様はそこからきているのだが、そんな宗像の心情を理解する者はいない。僅かに寄った眉間に気づく者もいない。

「周防くん、待ちなさい!」

 甲高い声が響いて、宗像は声のした方へ視線を向けた。

「どこへ行くの? まだ授業は終わってないわよ!」

 声の主は、宗像の担任である櫛名穂波だった。櫛名は、校門へ向かって歩いて行く男子生徒へ向かって叫んでいた。
 ズボンのポケットに両手を突っ込み、気怠げに丸めた背中が見える。男子生徒の名は、周防尊。宗像のクラスメートだ。
 周防は、入学当初から喧嘩が絶えず、学校一の問題児だった。一介の高校生に過ぎないにも関わらず、周辺に名前を知られ恐れられていた。品行方正を画に描いたような宗像とは対極に位置する生徒だ。
 教師たちも遠巻きにする中、そんな周防に対してただ一人、怖じけることなく接していたのが櫛名だった。他の教師たちに、新任教師の熱血がいつまで続くものかと揶揄され、周防本人から鬱陶しがられながらも、櫛名だけは周防と向き合うことを止めなかった。
 櫛名の声を無視して、周防の背中はどんどん遠ざかっていく。
 周防の歩む先へ視線を向けた宗像は、校門の柱に凭れかかる人影に気づいた。周防に向けて片手を上げているのは、この春に卒業した草薙出雲だった。
 草薙もまた、在学中はあまり素行の良くない生徒として知られていた。周防のように暴力沙汰を起こすことは少なかったが、主に女性関係の噂が絶えなかった。
 入学当初から人を寄せ付けなかった周防を草薙が構い、最初は鬱陶しがっていた周防だが、いつしか二人で連む姿を目にするようになった。
 草薙の前でのみ、周防は甘えるような素振りを見せる。そんな周防を草薙は甘やかす。今日も、周防に呼び出された草薙が迎えに来たのだろう。草薙の傍らにバイクが停まっている。

「……宗像会長?」

 校門に視線を遣ったまま立ち止まっていた宗像は、名前を呼ばれて我に返った。視線を下げれば、生徒会に所属する女生徒が困惑した表情で宗像を見上げていた。

「ああ…すみません。何か用でしたか?」
「会議の資料を確認していただきたかったのですが…」
「わかりました。タンマツに送っておいてください」

 昼休みの終了を告げるチャイムが鳴る。
 その音を掻き消すようにバイクのエンジン音が鳴り響いた。
 宗像が再び校門を見ると、周防と草薙を乗せたバイクが走り去るところだった。

 屋上へと出る扉を開けた宗像は、眩しさに目を眇めた。逆光の中に、フェンスに凭れて座る人影がある。

「やはりここに居たか。いい加減に鍵を壊すのは止めろ」

 目が慣れてくると、今まで眠っていたのか、面倒臭そうに瞼を開くのが見えた。半眼で宗像を認めると、野生のライオンのように欠伸を噛み殺し、低い声を発する。

「何の用だよ、宗像?」
「進路希望の調査票を提出していないのはお前だけだ、周防」
「あーそういやそんなもんもあったか…?」
「さっさと出せ」
「ねーよ」
「何?」
「持ってねー。無くした」
「どうせそんなことだろうと思った。用紙はここにあるから、さっさと記入しろ」

 宗像が差し出した用紙とボールペンを一瞥し、周防は鼻で笑った。

「用意のいいことだな。ついでに適当に書いといてくれよ、生徒会長」
「ふざけるな」

 周防は、煙草を取り出し火を付けた。これ見よがしに吹かした煙が、二人の間を立ち上っていく。

「俺の前で煙草を吸うとは、いい度胸だな。好んで毒気を体内に入れるなど、反吐が出る」
「吸ったこともねぇ奴がほざくんじゃねーよ」

 宗像は、二歩の距離を近づいた。周防の口から煙草を奪い取り、そのまま自らの口に咥えた。宗像の吐き出した紫煙が周防の顔を掠める。

「へぇ…」

 周防は、僅かに目を見開き、面白そうに笑った。宗像の手から抜き取った煙草を再び咥えると、立ち上がって扉の方へと歩いて行く。

「進路希望……か。王様とでも書いておけ」
「何?」
「最近纏わり付いてくる中坊が言いやがるんだよ」

 結局、周防の進路調査票は白紙のまま提出された。
 卒業までにその空欄が埋まることはなく、宗像と周防の道は分かれた。周防がストリートで生きる不良少年たちのリーダー的な立場になっているという噂は、耳に入ってきていた。
 周防とは会うこともなく数年の時が流れ、その時は来た――
 宗像は、ドレスデン石盤によって青の王に選ばれた。
 それと同時に、因縁めいた運命を知る。

「そうか……お前が赤の王か……周防」

 果たして、周防には自分の将来が見えていたのだろうか。
 否、周防は自らの未来を思い描くことができなかったのだろう。
 高校の屋上で、他人が語る自らの将来を戸惑いながら口にした周防の後ろ姿が蘇った。