冬の日のあったかい物語

 バイクで走るには厳しい季節になった。レザーのライダースジャケットにマフラー、厚手のグローブで完全防寒をしていても、長時間冷たい風を受けていると体温が奪われる。ちなみに、ライダースジャケットは景吾から、グローブはから、マフラーは亮と慈郎から、それぞれ誕生日にプレゼントされたものだ。
 冷えた身体を温めようとコンビニに立ち寄ったは、菓子の陳列棚の端に吊り下げられたあるモノに目を留めた。思い浮かぶのは、ヒヨコのようにふわふわした黄色い寝癖頭。一瞬だけ考えると、それを手に取り温かい缶コーヒーと共にレジに差し出した。


 今朝は一気に寒気が流れ込んできて、今年一番の寒さになった。ここのところ比較的に暖かい日が続いていただけに、寒さが一層身に染みる。こんな朝は、布団から出るのに一苦労だ。
 先代のころから近所に親しまれている芥川クリーニングの朝は、闊達な2つの声から始まる。今朝も、いつものように威勢の良い声が重なる。

「おい、 。いつまで寝てんだ。いい加減に起きろよ! 俺まで遅刻するだろーが」
「おい、ジロー。いつまで寝てんだよ。いい加減に起きろ! 俺まで遅刻しちまうじゃねーか」

 慣れた仕草で布団を剥ぎ取ったは、見下ろした光景のいつもとは違う様子に動きを止めた。

「あれっ?」

 隣の部屋から、弟の拍子抜けした声が届く。同じように片手に布団を掴んで無人のベッドを見下ろしているであろう弟に声を掛ける。

「亮、こっちだ」
「……ああ。こういうことかよ」

 間髪入れずに部屋へ飛び込んできた亮は、一瞥してすべてを悟った。
 今朝は今年一番の寒さ。昨晩から相当に冷え込んだ。お隣さんの芥川兄弟は、共に睡眠をこよなく愛する。兄の は弟ほど年中寝てばかりいるわけではないが、快適な睡眠のためには労力を厭わない。そして、寒がりで冬は苦手だ。普段は弟ほど寝穢くはないのだが、冬になると途端に布団から引っ張り出すのに苦労を強いられる。そんな兄を持つ弟はというと、中学生になった今でも幼児のように体温が高い。その結果がこうなる。
 弟を抱きかかえるようにして丸まって眠る兄弟の画。
 つまりは、弟を湯たんぽ代わりにベッドに引きずり込んだ、というわけだ。
 兄弟仲良きことは良いことかな。

「ったく、タロウとコタロウと一緒じゃねーか」

 亮が呆れた声で言った。タロウとコタロウというのは、宍戸家の犬の名前だ。柴犬のタロウと豆柴のコタロウ。と慈郎の寝姿は、寄り添って眠る2匹の犬のようだ。
 それにしても、この歳になってこいつらは。思わず頭を抱えたくなる。どう考えても、高校生と中学生の男兄弟がすることではない。これで当の本人たちは微塵も疑問を持っていないところが恐れ入る。と亮では絶対に無理だ。あり得ない。
 慈郎の腹に抱かれた巨大な羊の抱き枕が苦しげにつぶれている。景吾からの誕生日プレゼントで、慈郎の大のお気に入りだ。わざわざオーストラリアの職人に作らせた特注品で、最高級の羊毛が使われている。

君、亮ちゃん。おはよう。いつもありがとうね。でも、そろそろ行かないと、みんな遅刻しちゃうわよ」

 慌しい朝に不釣合いなのんびりとした調子で現れたのは、と慈郎の母親だ。3人の子持ちとは思えないほど、フリルのついた乙女チックなエプロンが似合っている。芥川夫人は、息子の部屋を覗き込むと口元を綻ばせた。

「あらあら。も慈郎もかわいい♪」

 この親にしてこの息子たちありということか。宍戸兄弟は、改めてこの親子には勝てないことを悟った。


 氷帝学園中等部正レギュラー専用部室では、お馴染みのメンバーが顔を揃えていた。既に引退をした身ではあるが、放課後の時間を持て余し、誘い合わせたわけでもないのに気づけばこうして集まっている。先代の正レギュラー陣に憧れる後輩たち、特に一部(言うまでもなく)には大歓迎されていたものの、新部長の日吉には煙たがられている。「先輩たち、暇なんですか?」と痛いところを突かれながら、相変わらず部室を占有している。しかし、彼らとて引退した身であるからゆえ、部室から出ることはなく、コートに出て指導をするようなことは控えているのだ。

「なあなあ、ジローは?」

 本を読んだり音楽を聴いたり課題を教えあったり、思い思いに過ごしながら小一時間ほど経ったころ、不意に向日が慈郎の姿がないことに気づいた。

「ホントだ。どこいった?」
「外で寝とったらマズイんとちゃうか? 風邪ひくで」
「それは大丈夫だ。ちゃんと持たせてある」
「何のことや?」

 妙に自信満々に景吾が断言したがこのまま放っておくわけにもいかず、全員で慈郎を探しに出ることにした。
 ほどなく、花壇の脇で白いダッフルコートのフードを被って寝ている慈郎を発見した。

「いつもながら、器用に寝るなぁ」

 忍足が感心した様子で覗き込む。煉瓦が詰まれた花壇の縁に巧く身体を乗せ、すやすやと寝息をたてている。
 意外にも慈郎は寝相がいい。時々ベンチから転がり落ちていることもあるが、身体の柔らかさのお蔭で猫のように怪我一つなくそのまま寝続けている。景吾も、真っ直ぐに背筋を伸ばした格好そのままに、一度眠れば朝まで姿勢が変わらず布団が乱れることがない。幼馴染3人の中で一番寝相が悪いのは、亮だ。子供のころ、3人並んで昼寝をすると一人だけ反対を向いていたり、部屋の端まで転がっていたり、慈郎の上に乗り上げたりしていた。今でも、たまにベッドから落ちたらしい音を隣室の が聞くことがある。

「なんや、これ?」

 慈郎が大事そうに胸に抱えている小さな茶色いものに忍足が目を留めた。ヒツジの着ぐるみを被った某リラックスしたクマのカイロ入れ。

「跡部が言うてた対策って、これかいな」
「ああ、そうだ」
「ちなみに、コレをジローに与えたのって……」
「俺じゃない」
「……ってことは恐らく」
「Eーでしょ〜!! コレ兄ちゃんにもらったんだー♪」

 いつのまにか目を覚ましていた慈郎が勢いよく起き上がり、ミトンをはめた手でクマの顔を掲げた。

「やっぱりなぁ。しかし、ええんか? これで」

 中学生男子の持ち物としては、いささか疑問が残るところだが。

「いい。兄さんが与えたんなら。本人も気に入ってる」

 再び目を向ければ、嬉しそうに満面の笑みを浮かべる慈郎に、それは疑問を挟む余地のないほど似合っていた。そして、景吾にそこまで断言をさせる宍戸兄への絶対的な信頼。

「偉大やなぁ、宍戸の兄ちゃんは」

 忍足の言葉に、一同は深く頷くのだった。