成人式
「、ちょっとネクタイ見てくれよ」
「ん、大丈夫。男前!」
「バーカ。しっかし、久々にネクタイ締めるとやっぱ窮屈だぜ」
「ホント、なんか息苦しいや」
高校の制服はブレザーだったため、ネクタイの締め方は心得ているが、卒業以来ほぼ2年振りともなれば、少々手元が覚束無い。緩く首からぶら下げていた高校時代と違い、きっちりと締められた首元に手を遣り、は左右に二、三度首を振った。
生まれたときからお隣さんの幼馴染で親友。保育園から高校まで一緒に通ったふたりの付き合いは20年になる。高校卒業後、は家業のクリーニング店を手伝い、は大学へ進学した。進路が分かれた今も、ふたりの関係は変わらない。
「。20年間、サンキュ」
「これからもよろしくな、相棒」
ダブルスのパートナーを組んでいたころのように拳を突き合わせた。
身支度を終えて現れた兄たちに、弟たちは目を見張った。スーツに身を包み、髪を整えたふたりは、見慣れた顔とは違っていた。
3人が物心ついてから、ふたりの兄は憧れであり、目標であり、追いつきたくても追い越せない存在だった。2年の歳の差以上に、遥かに年上のように感じていた。けれど、よそ行きの格好をしたふたりの顔は、それよりもずっと大人びて見えた。自分達の知らない顔つきをしたふたりに急に置き去りにされたようで、心細さと焦燥に駆られた。
「んだよ、どうした?」
ふたりの顔を凝視したままの3人をが怪訝そうに覗き込んだ。
「俺たちがあんまりカッコイイから見惚れた?」
とが笑いかける。それは3人がよく知るいつもの笑顔だった。
弟たちに向けるふたりの笑顔はどこも変わらない。
これからもずっと。
「――当機はまもなく成田国際空港に着陸します」
機内アナウンスに覚醒する。深い眠りから一気に意識を浮上させ、ためらいなく目蓋を開いた。長い睫毛が揺れ青い瞳が覗く。目覚めたばかりとは思えないほど、はっきりとした光を宿している。
寝起きのよさは天性のものだが、移動時間を利用して睡眠をとる術は、海外を転戦するうちに身につけた。ハードなスケジュールをこなす体力を維持するため、これもプロとして必要な技術だ。
すでに今シーズンのツアーが始まっている中の慌しい帰国で身体は疲れていたが目覚めはよかった。夢見がよかったせいだろう。夢の中で、数年前の兄たちの姿を見た。
腕時計を確認する。ほぼ定刻の到着になりそうだ。
「景吾、こっちだ!」
空港に降り立った景吾は、片手を挙げ自分を手招く姿を認め、顔を綻ばせた。
「おかえり、景吾。疲れただろ? あっちでが待ってるから」
「兄さん、ただいま」
ヨーロッパを拠点にプロテニスプレイヤーとして世界を転戦する景吾は、どうしても日程の調整がつかず、なんとか遣り繰りをして今朝の帰国になった。実家に連絡をすればお抱えの運転手がロールスロイスで迎えに来るが、こうしてふたりが朝から迎えに来てくれるのが嬉しかった。このふたりの兄と幼馴染たちがいなければ、わざわざ無理をして帰国しようとは思わなかっただろう。
空港の外では、芥川クリーニングの車が待っていた。運転席からが手を振る。
「景吾、おかえり」
「ただいま、兄さん。わざわざ車出してくれてありがとう」
「なーに言ってんの。可愛い弟のためならこれくらい。なっ、」
「そうだよ。ほら、早く乗れよ」
に促され、後部座席に乗り込む。
「ちょっと急がないと間に合わないかも」
エンジンをかけながら時計に目をやりのんびりした口調で言ったに、と景吾は固まった。景吾の顔に、試合でも見られない緊張の色が浮かぶ。おっとりした外見に反して、はスピード狂なのだ。眠りを妨げられると人格が一変し、テニス部時代には試合になるとまるでテンションが違うと恐れられたように、ハンドルを持つと人が変わる。
シートベルトを確認し、アシストグリップを握る手に力を込めたは、引き攣った顔を親友に向けた。大丈夫だ、俺は信用している。ダイジョウブ……なハズだ。……たぶん。
「…極力、安全運転で頼む」
「プロテニスプレイヤーを乗せてるんだから当然だって。任せろよ!」
最後まで言い終わらない内に、シートから背中が浮いた。芥川クリーニングの名前が入った白のバンは、馬の嘶きのように軋むタイヤ音を響かせ彗星のごとく走り出した。
式典開始のきっちり5分前、車は無事に会場へ到着した。なかなかスリリングな道程だった。と景吾はほっと息を吐き、顔を見合わせて苦笑した。
車を降りると、駆け寄ってくる人影がある。
「跡部、おっせーよ!」
跳ぶように駆けてきた岳人を先頭に、勢揃いした元氷帝テニス部の面々が出迎えた。
「結構、馬子にも衣装だろ?」
「確かに」
スーツ姿の弟を指して、が笑う。窮屈そうにネクタイを弄っている亮の姿は、2年前のと重なる。
「この後は、テニス部で集まるんだったよな?」
「そうらしい」
「終わったら連絡しろよ。迎えに行ってやるから。帰ったら5人で飲もうな」
景吾を囲み、華やかな一団は入り口へ向かって歩き出した。時間が迫っていても慌てた様子など微塵もなく堂々とした態度なのが氷帝学園らしい。あれだけ目立てば、この後の式典でもきっと何かしらの騒動を巻き起こすのだろう。
「あいつらも二十歳か…」
「、親父っぽい」
弟たちの後姿を見送りながら、はしみじみと感慨を込めて呟いた。
いくつになっても彼らが可愛い弟であることは変わらない。
これからもずっと。