鬼の霍乱〜向日岳人かく思いき〜

 風邪で欠席していた宍戸が3日振りに登校してきた。
 教室に入ってくる宍戸の後ろには、宍戸の鞄を持った長太郎が当然のように従っている。3年の教室が並ぶフロアだというのに、他の生徒たちは誰一人としてそれを気に留める風もない。すでに馴染んでしまった光景に、もう突っ込む気も起きない。

「よう。もういいのかよ?」
「ああ…」

 返事をしながらどこか冴えない宍戸の表情に、岳人は顔を顰めた。まだ調子が悪いのか。いつもなら適当に相手をしてやっている長太郎の問いかけにも、ほとんど生返事だ。

「亮ちゃんどしたの? まだしんどい?」

 侑士の肩を枕にしていた慈郎が顔を上げて宍戸の顔をのぞき込んでいる。

「あかんで宍戸。しんどいなら保健室行くか帰りや」
「車呼ぶか?」

 すでに携帯電話を取り出していた跡部に、宍戸は力なく首を振った。

「俺は大丈夫だよ」
「…俺は?」

 宍戸の言葉の微妙なニュアンスに敏感に反応した跡部が、宍戸の表情を探るように瞳を眇める。

「兄貴に風邪移し――」
「俺だ。医師の手配をしろ」

 宍戸がまだ言い終わらないうちに、跡部は携帯電話の通話ボタンを押していた。ワンコールで繋がった相手は、跡部家の執事さんに違いない。岳人は、跡部に見つからないようにこっそり溜息を吐いた。

(進歩したよな)

 逆さに座った椅子の背に腕を組み顎を乗せた状態でやり取りを眺めていた岳人は、しみじみと思った。

(昔だったらソッコー車呼んで帰ってたよな)

 幼稚舎のころ、3人揃って泣きはらした顔で母親に引き摺られるようにして登校してきて「お兄ちゃんが死んじゃう!」と泣き喚いた挙げ句に、途中で学校を抜け出し家に帰ろうとして失踪騒ぎまで起こしたことを知っている岳人は、思い起こした記憶に遠い目をした。
 宍戸は風邪で寝込んでいる兄を家に置いて登校してきたし、跡部も授業を放棄して帰ったりしない。すばらしい進歩だ。

(普通なら感心するようなことじゃないけどな)

 宍戸の兄は、長男の岳人にとっても兄のような存在だ。長男であるが故の愚痴を聞いてくれたり相談にのってくれたり、兄貴としての苦労を語り合える相手でもある。小さな弟たちに家で振り回されている岳人は、大きな弟たちから向けられる過剰な愛情を一身に受け止めているの苦労が理解でき、密かに同情の念を禁じ得ないのだ。

「岳人。どないしてん? 変な顔してんで」
「うっせー侑士。おまえには長男の気持ちはわかんねーよ!」
「いや、俺も長男やし」

 おまえらに兄貴の苦労がわかってたまるか。
 とりあえず見舞いは遠慮しておいて、昼過ぎにでもメールをしておこう。
 せめて今はゆっくりと休んで欲しい。
 放課後になればソッコーで弟たちが押しかけるだろうから。