七月七日

 季節は、梅雨真っ只中。夏本番を前に、すでに連日、茹だるような暑さが続いていた。
 学校から帰宅したを迎えたのは、3人顔を揃えた弟たちだった。3年生のたちより帰宅時間の早い1年生組は、兄たちの帰りを今か今かと待ち構えていた。ランドセルを片付ける間も待ちきれないというように、小さな体が纏わり付いてくる。

「きょうね、ゼリーだったんだよー。おほしさまがあってねーおいしかったC〜」

 どうやら給食に出たデザートの話をしているらしい。どうにも説明が不足している慈郎だが、それでもは、時に母親以上の正確さで読み取ることができる。

「そうか、よかったな」
「こーんなにでっかかったんだぜ!」

 今度は亮が、目一杯伸びをして両手を大きく広げて見せる。ゼリーの話か? しかし、さすがにそんなに大きなゼリーはないだろう。とにかく大きかったんだなということは伝わるが、興奮して肝心の主語が抜けているため、一体何のことを言っているのか解らない。

「何がだよ! わかるように話せ」
「イッテ!!」

 の指先が軽く弾いた額を大げさに押さえて亮がしゃがみ込む。心配した景吾が、景吾が転んで膝を擦りむいたときにがしたように、ふーふー息を吹きかけながら亮の頭を撫でてやる。

「短冊にお願いごとを書いて笹につけました」

 景吾の説明で、ようやく弟たちが熱心に伝えようとしていたことを理解した。
 今日は7月7日。七夕だった。
 3人が口々に話す内容をまとめると、氷帝の幼稚舎では、七夕セレモニーが行われたらしい。どこから運び込んだのか、講堂の高い天井にも届こうかという立派な笹に全校生徒が願い事を書いた笹を吊し、織姫と彦星の劇を観たという。
 宍戸家と芥川家では、毎年合同で家庭サイズの笹に飾り付けをし短冊を吊していたが、昨年の夏休みに出会うまではほぼ外国育ちの景吾にとっては、これが初めての七夕だった。暗幕を引いた講堂の天井に映し出された天の川のプラネタリウム(流石は氷帝学園)に、感激で瞳を輝かせていたという。

おにいちゃん、今夜は晴れますか? 織姫と彦星、会えますか?」
「あー。今年はちょっとムリかもなぁ」

 今日は朝から雲に覆われ、陽差しが遮られた分、過ごしやすかった。天気予報でも、雨マークこそ出ていなかったが、夜まで曇りだと言っていた。期待を込めた目でを見上げていた景吾の表情が、今の空模様のように悲しげに曇る。

「織姫と彦星がかわいそうです…」
「いや! 違うんだ、景吾。曇りだと俺たちからは見えないけど、空の上は晴れてるんだ。天の川は雲の上にあるから、雨でも織姫と彦星は会えるんだよ!」
「ホントですか!」

 慌てて言い繕うと、景吾の顔がぱっと晴れ渡った。景吾に泣かれるのが一番弱いは、ほっと胸をなで下ろした。
 そこへ、芥川クリーニングの店先に大型の車が停まる音がした。何人かの大人が動く声が聞こえてくる。子どもたちが様子を見に出て行くと、芥川母と跡部家の執事が話をしていた。

「じいや!」
「景吾さま。お利口にしていらっしゃいましたか。みなさまも、こんにちは」

 初老の執事は、皺を刻んだ目尻に優しげな笑みを乗せ、子どもたちに対しても腰を折り紳士的な挨拶をくれた。
 景吾の祖父の代から跡部家に仕えているという執事は、景吾の父親を育て上げた人であり、忙しい両親に代わって景吾の世話をしている。穏やかな人柄の彼を、たちももう一人の祖父のように慕っていた。
 しかし、今日はいつも彼が景吾を迎えにくる時間よりも随分早いようだ。景吾の小さな手が、まだ帰りたくないというように、きゅっとのシャツを掴んだ。

「もうお迎えの時間ですか?」
「いいえ。違いますよ、さま。私はこちらをお届けに参ったのでございます」

 景吾に掴まれたシャツの裾にチラリと視線を移し微笑んだ執事は、片手を胸に当て、もう一方の手で庭の方を示した。見れば、作業服姿の数人の男たちによって、目にも鮮やかな青々とした笹が運び込まれていた。氷帝に飾られた笹にも見劣りしない大振りの笹に、亮たちは歓声を上げた。

「ひつじさん、今日けーちゃんおとまりしてもいい?」
「勿論でございます、慈郎さま。お着替えもお持ちしました」
「Thanks!」
「ようし! みんなで天の川見ようぜ!」

 部屋に戻った5人は、早速折り紙を引っ張り出してきて、笹を飾り付け始めた。ハサミで切り抜いた星や天の川に見立てた網飾りなどで巨大な笹を飾り立て、その出来映えに満足すると、今度は芥川母が用意しておいてくれた短冊に向かった。急に静かになった子どもたちの様子を芥川母が覗くと、正座で姿勢を正した5人が真剣な表情で短冊と睨めっこをしていた。

「慈郎、もう書けたんだ。何て書いたの?」
「えっ、マジで? ジローもう書いたのかよ。俺にも見せろよ!」

 一体何を書こうかが思案していると、右隣に座ったが、いち早く書き終えたらしい弟の慈郎の短冊を手に取った。亮も身を乗り出して覗き込む。

「―――ひつじ」

 二人のビミョーな声が重なった。

「……ひつじ。それだけ?」
「おまえ、またコレ書いたのかよ。こいつ、学校でも同じこと書いたんだぜ!」

 羊は慈郎の好きなものだ。だがしかし、羊が食べたいのか、羊のぬいぐるみが欲しいのか、それとも本物の羊に会いたいのか。謎である。当の本人は、満足げに机に突っ伏してお昼寝モードに入っている。

「そういうおまえは何て書いたんだよ?」

 亮の前には何枚もの短冊が並んでいた。

「足が速くなりますように、テニスがうまくなりますように、兄ちゃんよりでかくなりますように。おまえ、願い事は一つだけだろ」
「そんなの誰が決めたんだよ!」
「誰が決めたって、フツーそうだろ。欲張ったってムダムダ。おまえに俺は越せねーよ!」
「ムカつく! いつか絶対に兄ちゃんよりでかくなってやるからなっ!」

 と亮が兄弟喧嘩を繰り広げる中、一人静かに短冊と向かい合っていた景吾は、ゆっくりと一文字ずつ丁寧に願い事を書き終えた。

「景吾のお願い事はなにかな?」

 の声に、宍戸兄弟も喧嘩を止めて景吾の手元を覗き込む。

おにいちゃんとおにいちゃんとりょーちゃんとジロちゃんとずっとなかよしでいられますように」

 は、堪らず景吾の頭を撫でた。横からが景吾を抱き締める。

「そんなことお願いしなくたっていいんだよ」

 景吾の願いはとっくに叶っているのだ。星になど願わずとも、ずっと一緒だ。
 その夜、星が出るころには空を覆っていた雲が晴れ、瞬く星が顔を覗かせた。

「織姫と彦星は会えましたか?」
「ああ。きっとな」