アニキ!
全国大会準々決勝D1。ここまでの試合は、1-2で青学のリード。雨によるサスペンデッドを挟んで翌朝再開をしたD1はタイブレークに突入し、スコアは氷帝リードの8-7。
俺の気持ちはひとつだった。
『俺達は勝って跡部に繋げなきゃならねーんだよ!』
「決まりだな」
左側から景吾の声。目の前のコートのゲームカウントは、5-3。スコアボードの数字は2-2。このS1を取った方が勝利を手にする。そして、マッチポイント。
「あーあ、惜しかったなぁ。もうちょっとだったのにぃ〜」
右側から、珍しく起きているジローの声。コートに膝を付いているのは、兄貴のチームメートだ。
「いくら兄さんと兄さんが強くても、もう1つ星が取れなきゃチームの勝ちはない」
ダブルス2試合の内のどちらかをなんとか取って、S3の兄ちゃんとS2の兄貴で試合を決める。S1は、端から捨て試合。それが兄貴たちのチームの勝ちパターンだった。そうやってここまで勝ち残ってきた。コンソレーションの最終戦。ダブルスを2つ落とした時点で、兄貴たちの敗退は決定的だった。
兄貴の学校は、公立の万年地区予選敗退の無名校で、都大会への出場は快挙と言われた。ここまで来れたのは、兄貴と兄ちゃんの2人の力によるところが大きい。氷帝で都大会敗退なんて言ったら恥ずかしくて登校できたもんじゃないが、最後まで関東大会出場権を争ったことは、きっと夏休み明けの始業式で紹介されるに値する成績だろう。でも、負けは負けだ。1回戦敗退だろうとあと一歩だろうと、次はない。
「兄ちゃんたちと一緒に関東行きたかったな〜」
コートで蹲るチームメイトの肩に手を置いて、兄貴が何か言葉を掛けている。
「行くぞ」
景吾に促されて、コートサイドを離れる。次は、俺たち氷帝の試合がある。氷帝は早々に関東出場を決めて、この後、都大会制覇を目指して決勝戦に臨む。俺とジローはまだ試合に出られないが、景吾がシングルスで出場する。
「負けんなよ」
「誰に言ってんだよ、アーン?」
最後にもう一度振り返ったとき、コートを引き上げる兄貴の横顔に、悔しさを垣間見た気がした。
その年、氷帝は関東制覇は逃したものの、全国大会に出場した。景吾は、1年生ながらレギュラーで出場し、一気に全国区に躍り出た。
全国大会終了後、新学期が始まるまでの僅かな休みに、全国大会出場祝いと慰労を兼ねて、俺たちは家族旅行に出かけた。跡部家の別荘がある軽井沢への3家族合同の小旅行は、夏の恒例行事になっていた。この時ばかりはクリーニング店も休業し、忙しい跡部の両親も揃って休みを合わせる。
軽井沢の別荘はプライベートコートを備えていて、親たちもそれぞれテニスの経験があったから、俺たちはガキの頃からここでテニスを楽しんだ。俺が初めてテニスを目にし、テニスを始める切欠になったのもこの場所だった。
毎日毎日部活で黄色い球を追いかけて、それでもやっぱり折角の休日だというのに呆れ顔の親たちに見送られて、俺たちはラケットを抱えてコートに立っていた。
「俺たちとダブルスで勝負しようぜ」
言い出したのは、兄貴だ。
兄貴と兄ちゃんの兄貴sと、俺とジロー。完璧なシングルスプレイヤーの景吾は審判役。
兄貴ペアとは何度も対戦したが、一度も勝てたことがない。3年になって2人はシングルスに転向したが、元々はダブルス専門だった。テニスを始めた頃から一緒にプレイしていた2人だ。幼馴染ならではの絶妙の呼吸は、氷帝のどのダブルスペアの先輩でも敵わないと思う。だが、万年地区予選敗退の弱小テニス部では、シングルスでも2人以上の実力を持つ部員はいなかった。ダブルスでは、2人で1つの星しか稼げない。シングルスなら、2勝を挙げることができる。チーム事情を察しての決断だった。
なぜ兄貴は俺たちを誘ったのか。
今にして思えば、兄貴たちの中学最後の試合は、ダブルスではなかった。いや、2人にとっては、これがラストゲームだったのだ。2人は、高校ではテニス部に入らなかった。だから俺たちを誘ったんじゃないかと、今になって思う。
俺たちは、やっぱり勝てなかった。
タイブレークに突入し、自分たちが王手を掛けているのに、逆に追い詰められていた。
訳の解らないシンクロを見せる大石と菊丸に、会場のほとんどが止めるのは不可能だと思っていただろう。まだ午前中だというのに、頂点に近づきつつある太陽に熱せられたコートは、昨日の雨による湿度の高さと相俟って、容赦なく体力を奪っていく。
それでも、俺たちは負けるわけにはいかなかった。
レギュラー落ちをして、そのあと挑んだ跡部にこてんぱんにされたとき、
『ダブルスでならテメェの努力報われるかもな』
そう言われて俺は、兄貴たちのダブルスを思い描いた。2人のダブルスは、俺の理想で憧れだった。
まだまだ兄貴たちには敵わない。兄貴たちのダブルスを越える日まで、俺たちが満足することはない。