彼が終始笑顔でいられる場所が在るなら
きっと、何年かけてでも、自分が探しに行った。
『泡沫の居所』
自分の隣で、今、愛しい子供は。
笑っている。
何の悩みも無いかのように。『何か悩みがある?』
なんて訊いたところで。
多分返ってくる答えは、否定か冗談。
それなら訊かない。
不安になんか、ちらともさせたくない。“倖せ”だと思う瞬間は、増えたかもしれない。
満たされていない、とも思わないようには、なったかもしれない。
それでも、かすかな翳りが消えることは無くて。
無くて・・・・・・無いん、だろう。
自分・・・と言わず、誰にでも、彼はそういう様子を見せない。
喜んだときの笑顔や、怒った時の叱咤、楽しい時の笑い声は、いくらでも供給してくれるくせに。『居て欲しい』『不安』『淋しい』そういう感情を、少しも見せてくれたことは無い。
信用してもらえていない・・・・・・とか、そんなのじゃ無くて。
多分、彼本人が、其れを人に伝えることに慣れていないだけ。
受け止めてもらえない信号は、出すだけ無駄。
発してくれなくなったのは、彼だけれど。
発しても無駄だ、と思わせたのは、他でもない自分たち。
1度自ら放棄した責任を、拾い集めて。
今更になって、一方的に其れを果たそうとしているのは。
自己満足だけでしかないのかも知れない。
しかし、其れを言うならどんな時だって同じことだ。
子供の『幸』『不幸』なんてものは、所詮何時だって、大人たちが勝手に定義づけて創り上げていくもので。
其れに塗り固められた「子供」は、矢張り同じような「大人」へと、変わっていくのだろう。
教えてもらわなかった、この人間の価値観が、どれだけ自分を超越したものであるのかは、想像もつかない。
独り其れを大事に抱えているはずの、彼を。
自分の満足のために、引きずっていいのか。
迷わない、わけではない。
でも。
結局自分も、なんだかんだ言って身勝手なもので。
この笑顔が、本当にずっと在り続けられるのなら。
何処へだって行こうと思っている、正直な本音が存在する。「ねぇ、ナルト、楽しい?」
ほんのささやかなことを、素直にいちいち喜ぶ少年に、何気ない声をかけた。
すぐさま、強気な笑顔がこちらを振り返る。
「すっげー楽しいってばよ!」
「それは良かったねぇ〜」
何も包み隠さない、ありのままの答えと、自分の相槌。
どこか薄っぺらさを感じるのは、多分自分の思惑の所為。「ずっと、永遠に楽しいところに、逃げちゃおうか?」
「何が?」
「2度と辛いことも、悲しいことも無いようなところがあったら、行く?」そんな場所知っているのか、なんて訊かれれば、答えられはしないのだけど。
それでも、彼が『行きたい』と答えれば。
自分は、他の何を捨ててでも、探しに行っただろう。しばらく、少年は黙り込む。
自分が言った言葉の真意を、測りとろうとしているのかも知れない。
「う〜ん・・・・・・・・・・・・」
こんな、自分の出した、至極くだらない質問に、熟考して。
出した答えは、半ば予想通り。
「行かない」
「どうして?きっといい所だと、思うけどなぁ?」本当はそんなこと、思ってもいはしないけれど。
『行きたい』って、一言でも言ってくれれば。
其れこそ、死に物狂いで探しに行くから。「・・・・・・行かなくていい」
「なんで?」
理由を求めると、相手は、しつこいなぁ、と言う表情をした。
「ここで笑えるから」
「・・・・・・・・・・・・・・」
「ここで、ちゃんと笑えるから、ここ以外の場所じゃなくていいってば」
「・・・・・・そう」そう。
じゃあ。
何時でも笑えるように、何時でも居場所を用意してあげる。
涙すら落とせるように、何時でもここをお前の場所にしてあげる。
例えばそれが、ほんの片時だけの。
例えばそれが、わずかな間の幸福をくれるだけの。
泡沫の居場所であったとしても。