『治療』
本日日番の僕。
運が悪かったというかなんと言うか。
その日は丁度、身体測定の日で。
昼休み、僕が保健室へ、保険調査票を取りに行く役目を任ぜられた。「失礼しまーす」
控えめにそう言いながら、保健室のドアを開けると、一人だけ人が立っていた。
白衣を着ていないから、保健室の先生ではない。
制服を着ているので学生である。
・・・・・・というよりも、その後ろ姿は、良く知っている人だった。
「ヒル魔さん!?」
驚いて、思わず大きな声でその人の名前を呼んでしまった。
そこで初めて、名前を呼ばれた人物が振り返る。
「・・・・・・あ?なんだ、糞チビか・・・・・・。何やってんだよ?」
「あの、日番なんで調査票取りに・・・・・・って、ヒル魔さんこそ、保健室で何やって・・・・・・」
保健室に居るヒル魔さん、というのに失礼ながらも違和感を感じて。
そう、訊いてしまった。
しかし相手は、自分の問いには答えずに。
「丁度良かった。絆創膏とか有る場所、しらねーか?」
と訊かれたが、生憎、入学したての自分である。
保健室に用意されているもの、その位置なども、知る由は無い。
小首を傾げることしか出来なかった。
「さぁ?知らないです・・・・・・。それより」
それより。
絆創膏を探していたということは。
「どっか、怪我でもしたんですか?」
「あー・・・、ま、ちょっと腕な」
と言って、ヒル魔さんが袖をまくって、その箇所を見せた。
「・・・・・・・・・・・・」
言い方はおかしいかも知れないけれど。
真新しいその傷口からは、紅い鮮血が流れ出て、肘の方まで伝っていた。
血で、傷口の深さまでは、見えない。
「な・・・っ、凄い怪我じゃないですか。こんなの、絆創膏で済まそうとしないで下さいよ・・・・・・」
半ば呆れて、そう言うと
「保健室誰もいねーし、右腕なんだから、しゃーねぇだろ」
彼は飄々としてそんな風に答える。
それどころか、絆創膏の在り処が分からないと知るや
「ま、無いんじゃ仕方ねー。ほっときゃいいだろ、こんなの」
と言って、さっさと保健室を出ようとした。
思わず、その人の腕を掴んで、引き止めた。
「簡単な手当てくらいだったら、出来ますから・・・・・・」
「はぁ?余計な御世話だ。こんくらい、ほっといたって治る。」
「放っといて悪くなったらどうするんですか。小さい傷だって、化膿したら痛いんですよ?」
実際に化膿すれば、痛いどころの話でもないと思うが。
そもそも、放っといていいほど軽い怪我とは思えない。
その証拠に、今だってその赤い血液は滴り落ちていて。
保健室の床に、サスペンスドラマのような血痕を作っている。
血痕・・・・・・血の痕が・・・・・・・・・あぁ、後で拭かなきゃ。
そんなことを考えながら、なお、その腕を放さないで居ると。
「ちっ・・・・・・」
ガラ悪く舌打ちを一つ。
ヒル魔さんが、諦めたように室内の小椅子の1つに、座った。
「血、止まりましたか?」
「あー・・・、多分な」
面倒臭そうに返事をしながら、彼は傷口に当てていたティッシュを外した。
真っ赤に染まったそれとは裏腹に、腕には極少量の血が滲んでいるだけである。
僕も、スプラッタな状態になっていた床を吹き終わり、立ち上がった。
絆創膏の場所はわからないけれど、ガーゼや消毒液くらいは、すぐ分かる所にある。
消毒液のビンを手に取ると、ピンセットで綿を1つ摘み出して、傷口を拭った。
「痛くないですか?染みません?」
僕なりの気遣いで、そう問うと
「染みんのはしゃーねぇだろ、消毒なんだから」
と、ごもっともな意見。
実に男らしいものだ。
ある意味感心しつつ
「それもそうですね」
と、ありきたりに頷いた。
ガーゼを貼り終わったが、随分とテープは頼りなく、すぐにはずれてしまいそうに見える。
「包帯も一応、巻いときますね」
「要らね−よ。お前、大袈裟過ぎ」
「だって、取れちゃうじゃないですか、ガーゼ。別に服で隠れるから、人には見えないし、いいんじゃないですか?」
「みっともねぇだろ」
「いや、だから人には見えないって・・・・・・」
言ってるじゃないですか、と言おうとすると、ヒル魔さんの次の言葉がそれをさえぎった。
「んなんじゃなくて、テメーにここまでされて」
詰まらなさそうにそう言う。
「そう・・・・・・ですか?」そうだろうか?
大したことはしていないと、思う。
保健室の先生が在室中なら、当然やったであろうことを、やっただけの話だ。
これ位、させてもらっても。
こっちこそ、いいと思うんですけど?「ちょっとくらい、頼って下さいよ」
そんな言葉が、口を衝いた確かに自分は、足が速いくらいしか、取り柄は無いかもしれないけど。
アメフト以外で、役に立つことなんて、無いかもしれないけど。「怪我の手当てくらい、ちょっとは出来ますよ?」
だからそれくらい、頼ってくれていいのに、と。
そういう意味合いを込めて言うと。
「面倒臭ぇだろ、んなもん」
との返事が返ってきた。
彼なりの、遠慮・・・・・・気遣いみたいなものなんだろうか?
「そうでもないですよ」
面倒臭い・・・・・・、とは少しも思わない。
大体にして。
「好きな人に頼られて、嫌だと思う人なんか、いないと思います・・・け、ど・・・・・・・・あ」
はっとして、口を噤んだ。
無意識のうちとはいえ、随分と血迷ったことを言ってしまった。
今更だと言えば今更なのかも知れないけれど。
こんな風に、自分から・・・・・・しかもこんなに自然に言ったことは無い。
「あ・・・いや、その・・・・・・だから、嫌じゃありませんよ・・・・・・ってことで」
気恥かしさ余って気まずさ100倍。
そんな言葉は無い。
けれど、今の状況は、例えるなら正にそれで。
適当に誤魔化しを加えたけれど、誤魔化せたとも思えない。
その証拠になのか、ヒル魔さんは一言も言葉を発しない。
・・・・・・と思うと、突然肩を揺らして笑い始めた。
おかしなことを言っただろうか?
否、寧ろ恥ずかしいことなら言った気はするが。(気だけではない)
「ヒ、ヒル魔さん・・・・・・?」
どうかしましたか?と、訊ねようとすると、がしっと両肩を掴まれた。
右腕には、さっき巻き終わったばかりの包帯。
「な・・・何ですか?ヒル魔さ・・・・・・」
「今日は部活終わったらお持ち帰りだな」
「はぁ?お持ち帰り?」
間抜けな声を出して、一瞬、その言葉の意味を探る。
多分、ヒル魔さんの家に寄れ、ということだろう。
「・・・・・・っ!?」
当然、その未来予測される出来事に、思考が行き当たり。
嫌な予感と羞恥心。
顔色は、赤くなっているのか青くなっているのか分からないまま。
「ヒル魔さん!?」逃げるかのように、さっさと保健室を出て行った彼に。
後ろから大声で叫んだ。