遠い人。
どれだけ足掻いたって
手も、届かないくらいの。
『手を伸ばしたところに』
「何やってんだ?お前」
後ろから手を伸ばしてくるセナに、ヒル魔は訝しげな表情で疑問を投げかけた。
触れるでもなく、届かない立ち位置から、目いっぱい自分に向けて腕を伸ばしている、セナ。
おかしな状況であるのに、なぜか表情は真剣そのもので。
真剣と言うか、神妙と言うか。
「何腕ばっか伸ばしてんだよ?」
どう考えても自分を目掛けて伸ばしているその腕を、掴もうとすると、セナは逃げるようにそれを引っ込めた。
当然ながら、ヒル魔はむっとする。
「ぁあ!?何なんだよ、一体?」
この凄む様な口調で言えば、大抵の場合セナは(セナに限らないが)、首を竦めて謝るのだが。
今日は、表情一つ動かさない。
ピン、と来る。
・・・・・・何か考え込んでいる証拠だ。
どういう性分かは知らないが、一人の世界に入り込むのはセナの得意技。
であることに、ヒル魔は最近気がついた。
良きにせよ悪しきにせよ、それは変わらないことであるらしく。
アメフトに夢中になっている時の彼は、周りのことが一切目に入らない。
そうかと思えば、暗く深く、脱出口のない考えに陥っているときも同じく。
・・・・・・今回は、あまり良い思考回路に嵌っているわけでもなさそうだな。
表情を見て、とりあえずそれは察したヒル魔だった。
「何思い詰めてんだ?」
そう問うと、セナが顔をあげた。
少なからず、驚いた表情を浮かべて。
もちろん、何故自分が考え事をしてるのが分かったのか、と。
「ハッ、テメーみたいな単純バカの頭ン中なんか、すぐにわかんだよ」
と言って、頭を小突いてやると、さすがに少しむっとした表情をしたが。
それについて言い返すほど、セナは冒険家でも挑戦好きでもない。
「遠いなぁ・・・・・・って思って」
主語も述語もない、ともすれば自己完結にもなりそうな言葉で、答えた。
当然、ヒル魔が全ての意味を汲み取れるはずもない。
それを察してかどうか知らないが、セナが付け足す。
「手、伸ばしても・・・・・・届かないですよねぇ」
再び同じように、ヒル魔に向けて腕を伸ばした。
「はぁ?」
訳がわからない、という表情をするヒル魔。
「近づきゃいくらでも届くだろーが」
と、セナの腕を引っつかんで、引き寄せようとする。
セナはそれに逆らわずに、わざとついて行ってつかまれた腕を放した。
「いや、そんなまんまに取られても困るんですけど・・・・・・」
そうじゃなくて、もうちょっと心情的なって言うか、感覚的な感じで・・・・・・・・・。
口では上手く説明のつかないことに気付いたのか、セナは諦めて黙り込んだ。
続きを促そうとするヒル魔を制する様に、その体にもたれかかった。
やり場のない腕は、ヒル魔のシャツのすそあたりを、軽く摘んで。
自分よりは充分発達しているとは言え、やはり細身のその体に、思い切って体重を委ねる。
それでもびくともせずに受け止めているあたり、細くは見えても十二分に鍛えてあるのだろう。
・・・・・・・・・・ほら、こんな所まで遠い。
体を鍛えてるとか、鍛えてないとか、そんな次元じゃなくて。
いきなり乗り掛かってきた重りを、いとも簡単に受け止めることのできる彼と。
・・・・・・多分、その唯一の自慢の俊足で、逃げてしまう自分。
遠い。
近づけもしない。
どれだけ、手を伸ばしたって。
あんな風になりたいとか、願っているわけじゃない。
けれど。
圧倒的に開いたこの距離感は、自分を不安にさせるのに十分すぎる。
いつか本当に手が届かなくなったら・・・・・・?
「・・・・・・何だよ、お前は・・・・・・抱きつくならせめて、もっと色気の有る抱き付き方しやがれ」
「別に抱きついてるわけじゃ、ないです・・・・・・」
「・・・・・・訳わかんねー奴・・・・・・・・」
ため息混じりにそう言いながらも、全く分からないという訳でもない、と言う気が・・・・・・・しないでも、ない。
自分が、セナに対して抱いている不安感。
逃げることに関しては随一である彼が、自分からすら逃げてしまおうと、少しでも考えれば。
それは不可能なことでない、と言い切れるだろうか?
守ってくれる人間が、いないわけではないし。(例えばあの幼馴染の女)
自分と彼を繋いでいるものなんて、言ってしまえば部活だけなのだから。
ないとは思うが、その接点さえ切ってしまえば、何とでもなるわけで。
あの俊足を捕まえる自信は、客観的に見て自分にはない。
同じような不安を、相手が抱いているのだとすれば、有り難いものだ。
想い合っていればこその感情の交差、というか。
ただ、同じ感情があるだけに、お互いに払拭することも出来ない、これまた事実。
何時の間にかヒル魔の腕は、その中にセナの体を収めていて。
セナも、それに答えるかのように、シャツを摘んでいた腕をヒル魔の背中に回していた。
必死にしがみついているようでもあり、また、逃げないように縛り付けているようでもあり。
言葉もなしに、互いの気持ちが汲み取れるほど、近くない。
圧倒的な距離を、互いに相手に感じたまま。
「まだ、ここに居てくれますか?」
「こっちの科白だ、バーカ」