『Raining』
さっきまで、ふわふわと柔らかく降っていると思った雪は、何時の間にやら雨粒へと変わっていた。
「うっわ・・・・・・傘持ってないのに・・・・・・」
雪だと思っていたから、傘は持参していない。
まだ学校まではいくらか距離がある。
「仕方ない・・・・・・か」
少し早歩きで歩けば、大して濡れはしないだろう。
もともと、少し雪に濡れるつもりで来たのだから、諦めは付く。
(まもり姉ちゃんに怒られるかもなぁ・・・・・・)
セナは、少し心配そうな顔つきで、足を速めた。
こんな風に、雨に濡れながら歩くのは久しぶりだなぁ・・・、とふと思う。
そう言えば、雨に濡れるのは慣れていた。
何でだっけ・・・・・・?と考えてみれば、とある事実に辿り着く。
(あぁ・・・・・・そっか、パシリで・・・・・・)
雨の中、傘を持って走れば当然ながら遅くなる。
そうすれば、命令者達に怒られるのは目に見えている。
セナは、雨の日でもパシられた時は傘を持たずに走っていた。
そのおかげで、雨の中でも効率の良い走り方をする特性、また、その中で荷物を濡らさない上手い方法を身に付けたのだが。
雨に濡れた後、というのは不快感極まりないが、濡れながら走る、というのは意外と気持ちのいいもので。
雨粒と風が顔にあたり、その冷たさが心地良い。
あまり明るい過去とは、言えないかも知れないが。
それもまぁ、自分の過去の1部だろう、と割り切れる程度には、セナは思い切りが良くなった。
それが、結果としてアメフトに貢献できるようになったから、かどうかは知らないが。
ふと上を見上げる。
雨が、自分の顔目掛けて降ってくるように見えて、自分の位置感が掴めない。
自分の顔に、まっすぐ当たる水滴を、久々に感じ取った気が、した。
(・・・・・・走って・・・・・・見ようかな?)
勿論、全速力で走ったらいけないので、軽く。
そんなに土砂降りなわけでもないし、時間は裕にある。
のだから、わざわざ走る必要もないとは思うのだが。
久々に、雨の中で走る感覚を味わいたい。
そう、思ったセナの目の前が、突如真っ黒に覆われた。
「えっ?」
振り仰いでいたセナの目の前・・・・・・、つまり頭上に現れたものは、黒い傘。
顔に当たっていたはずの雨も、ふ、と途切れた。
振り返ると、自分のすぐ背後に立っている、人。
「・・・・・・あ、れ?ヒル魔さん・・・・・・?」
「何雨に濡れてんだ、糞チビ」
会った早々悪態をついたヒル魔が持っているのは、黒い傘。
それは半分、自分を覆うようにさされている。
とりあえず、今は朝。
後輩が先輩に言うとすれば、朝の挨拶だろう、と。
「お、おはようございます・・・・・・」
戸惑いながらも言うと、ヒル魔はそれには答えなかった。
もっとも、この人物に挨拶をして、それが素直に戻ってくるとは、セナとても思ってはいない。
代わりに返って来たのは
「朝っぱらからこんな、馬鹿みてーに雨に濡れてっと、風邪でも引くぞ、馬鹿かお前」
馬鹿にしつつも、ともすれば、心配している、と取れなくもない科白。
そこで初めて、セナは彼の持っている傘が、自分を庇う様に差されていることに気付いた。
更に。
その所為か、ヒル魔の肩までもが、少し雨にさらされている事にも。
「あ、い、いいですよ、傘・・・・・・。それより、ヒル魔さんが濡れ・・・・・・」
自分の所為だ、と思い、セナが少し慌て。
自分のほうに差された傘を、持ち主の方に少し押し返すようにして言った。
が、そこでヒル魔が言い返す。
「ほぉー?じゃあテメェは、風邪ひいて39度の熱があっても、部活来て元気に練習するって言うんだな?あ?」
「・・・・・・・・・有難く入れていただきます」
「初めっからそうしてろ、チビ」
言うや否や、ヒル魔は学校へ向かって歩き出した。
「お前、傘くらい持って来い」
「はぁ・・・・・・雪だと思ってたんで」
スミマセン、とセナが謝ると、ヒル魔は溜息を一つ。
「しかも、降ったんなら降ったで、ちょっと位急ぐとかしてみろよな。何ボーっと上向いて突っ立ってんだ」
いや、その前は急いでいたんですけど。
と言う言葉は、この際反抗としかとってもらえそうにないので、飲み込んでおく。
代わりに。
「でも、雨が顔に当たるのって、意外と気持ちいいんですよ」
と言った。
「は?」
「だから、僕、雨の中で走ったりするの、結構好きなんです」
「・・・・・・だったらさっきも、さっさと走りゃ良かっただろ」
やってたことと言ってることが、不一致だ、と突っ込まれる。
「走ろうとしてたんですけどね・・・・・・さっき」
どうもタイミングの悪いときにあった様だ、とセナ、苦笑。
でも・・・・・・。
ふと考え付いた。
このまま入れてもらったままもなんだし、ここから走ろうか?
少なくともそうすれば、ヒル魔さんを濡らさなくて済むではないか、と。
依然、ヒル魔の肩は少しはみ出し、濡れたままで。
明らかに自分に原因があるわけで、セナは少なからず、罪悪感を感じていたところ。
その考えは、丁度いいかもしれない。
「あ・・・・・・、じゃ、僕、ここから走っていきますんで・・・・・・」
と、走り去ろうとしたセナの、襟首を、ヒル魔がその長い指で捕らえた。
当然・・・・・・セナの首は絞まる。
「っぐえっ」
死にかけのカエルのような声を出して、今走り出そうとしたセナの脚は、躓きかけた。
涙目になって咳き込みながら、自分を引き止めた張本人を振り返る。
「げほっ・・・・・・・な、なん・・・・・・?」
「入ってろ、馬鹿」
「い・・・・・・けほっ、いいですっ・・・よ、ヒル魔さんが、濡れちゃうし・・・・・・」
「風邪ひくっつってんだろーが。人の言うこと、聞きやがれ」
ぺしっ、と額をはたかれる。
「で、でも・・・・・・このままだと、あ、相合傘ですよ・・・・・・?」
先ほどから、周りの視線が気になるセナ。
相手がヒル魔だから、という理由もあるのだろうが、その浴びせかかる視線は、少々痛い。
男と相合傘、だなんて。
彼にとっても、あまり名誉なことではないだろう、と思い、そう言うと。
「おー、嫌がらせだ。悪いか?」
ヒル魔は、飄々と言い捨てた。
「嫌がらせって・・・・・・・・・ぼ、僕にですか」
「他に誰か居るか?」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
親切心なのだろう、と少し感じ入っていた彼の行為が、嫌がらせ、と。
落胆しつつ、それでもやはり、少なくとも少しは心配してくれているのだろう。
そう、無理矢理にでも結論付けて、セナは大人しく、ヒル魔の隣に納まる。
「・・・・・・有難うございます」
とりあえず、礼を述べると
「・・・・・・フン」
愛想なくそっぽを向いた、相手の行動が、どこか照れ隠しのようにも見えて。
セナが嬉しそうに、笑い顔になったところ。
「とりあえず貸しだからな。労働で返してもらうぞ・・・・・・」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
前言撤回したくなるような、悪魔の呟きが、傘の中から聞こえた。