たかが、とも思う。
たかが、呼称の1つや2つ。
気にするほうが、馬鹿馬鹿しい。
のだけれど。
そんなくだらない事が、いちいち気になって。
『Calling his name』
「・・・・・・セナ」
「はい?」
特に気にしたことなんか、無かった。
意図することもなく、知らず知らずのうちに、呼び方は『小早川』。
支障があるわけでもない。
それで充分、相手には通じるではないか。
気付いたのはつい最近。
あの「まもり」と称される、幼馴染の彼女は勿論。
大田原さんが敗れた、あの巨体の彼も。
目つきと態度がやたらと悪い、主将の男も、本人には呼ばないが、第三者にはそう称しているらしいし。
あまつさえ、桜庭までもが「セナ君」と呼ぶ始末。
「ってかさ、わざわざ『小早川』って呼ぶほうが、変じゃない?長いのに」
とは、桜庭の言葉。
・・・・・・そうだろうか?
思えば、自分のほかに彼を『小早川』と呼ぶ者は、あまりいなかった。
別に、たかが呼び方如きに、嫉妬を感じるわけではない。
が、苗字より下の名前のほうが、親密度が高く感じる、というのは周知の事実。
と、すれば。
少なくとも、桜庭よりは彼との関係は深かろう俺が、彼を『セナ』と呼んで、おかしいはずも無い。
・・・・・・それでも、所詮嫉妬だろう、と誰かに突っ込まれれば、答えどころもなくなるのではあるが。
と、いうわけで、彼のことを名前で呼んでみよう、と試みた自分だった。
意識したせいだろうか、それはなかなかに根性がいることで。
たかが呼び方じゃないか、と自分を半分騙しながら、前半たっぷり躊躇った後、ようやく呼べた名前。
「・・・・・・セナ」
「はい?」
相手の反応は・・・・・・・・・・・・、普通、だった。
普通すぎた。
照れる・・・・・・とまで行かなくとも、少しは何らかの反応を見せてくれるのではないか、と期待したのだが。
振り返った彼は、いつもの、“何でしょう?”という顔。
・・・・・・自分の呼び方など、特に彼にとって気に止めることでもなかった、ということだろうか?
・・・・・・・・それはさすがに・・・・・・辛い・・・、ような。
「今・・・・・・」
「へ?」
さすがに平凡過ぎる相手の反応に、逆に自分が戸惑いの色を隠せなくなって。
名前で呼んだのだが、ということを気付かせようと、言いかけると。
彼は、しばらく考えるような顔になり、あっ、とようやく気付いたような顔をした。
「あー・・・、今、名前で呼んでくれましたよね?」
「・・・・・・あぁ」
なんとも希薄な反応に、少々落胆の感情もやはり隠せず。
(表情には恐らく、微塵も出なかったと思うが)
「も、もしかして其れだけの為に、今僕のこと、呼んでくれたんですか?」
「・・・・・・まぁ・・・そうだな」
「えっ、す、すみません、全然気付かなくって・・・・・・。ほとんど周りの人、名前で呼ぶんで、違和感が無かったんで・・・・・・」
「・・・・・・・・・・・・」
申し訳なさそうな顔をして、更なる打撃を与えてくれる。
『ほとんど周りの人、名前で呼ぶんで、違和感が無かったんで・・・・・・』
とは。
本人に勿論、悪気は無い・・・・・・正直なところなのだろうが、自分にとっては多少ならずともショックを受けた。
とはいえ、彼が悪いわけではないし、そもそも、自分でも言い聞かせたように、たかが名前のことなのだ。
気にするほうが、妙なのだから。
そう、頭の中に叩き込んで、しかし次の言葉を継ぐことも出来ず。
性質ではあるが、しばらく黙り込んでいると、彼は気まずそうに覗き込んできた。
「もしかして・・・・・・怒ってますか?」
「・・・・・・いや」
怒る?
何故?
理由が、無い。
何も、悪いことがあるわけではない。
普段から『セナ』と周りから呼ばれている彼が、今更自分がそう呼んだところで、大した違和感を感じないのは、当たり前といえば当たり前。
悲しくもなるのは事実だが、謝る必要も、有るわけは無いはず。
とまでは、思考は働かせたが、それを言葉に全て置き換えるほど、自分は多弁ではない。
それだから、小早川にまで余計な畏怖感を与えるのだろうか?と、本題を離れて、そんなことまで考えていると、
「で、でもなんか、機嫌悪くないですか・・・・・・?」
と、不安そうな顔で問われる。
「・・・・・・・・そう、見えるか?」
「え?や、あの、気のせいだったら、いいんですけど・・・・・・」
と言いながらも、心配そうな表情をしている彼。
たぶん、頭の中は、どうしよう・・・、などと焦っているのだろう。
焦らせているのは、他でもない自分。
生来の性格で、直しようも無いとは思っていたが、この分だと矢張り改める必要があるかも知れない。
無駄に彼を怖がらせ、心配させ、萎縮させるこの態度と寡黙は、自分としても有難いとは言えない。
それにしても。
・・・・・・怒って、いるだろうか?
自分が、正当性の有る理由も無く、怒りを感じるほど、精神の歪曲した人間であるとは思っていないのだが。
とは思うものの、それでも、心の隅に何らかのわだかまりが有ることは、否定できない。
何故・・・・・・だろう?
気付いて貰えなかった所為?
だとすれば、自分は相当心が狭い。
そんなことで腹を立てるなど、自己中心的考え以外の、何ものでもないだろう。
他の人間が、彼を『セナ』と呼ぶことに?
でも、それなら桜庭、及び他の人間に対しての感情ではないだろうか。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
理由のわからない感情、というのは、苦手である。
恐怖にしろ愉悦にしろ、何らかの理由が伴うものだ・・・、と考えている自分にとって。
自分で分析出来ない感情、というのは、戸惑いでしかない。
とにもかくにも、この分からない感情に、理由、若しくは裏付けを付けたい所なのだが。
どれだけ考えてみても、自分がここまで名前如きに執着するのか分からない。
・・・・・・・・・・・・・・・・・何故?
「あの・・・・・・清十郎、さん?」
「っ!?」
突然呼ばれた名前に、驚いて振り返る。
それまでフル回転していたはずの思考は、一瞬にしてさえぎられた。
しっかりと目が合ってしまった彼、・・・セナは、少し頬を赤くして、困ったように微笑った。
「や、やっぱりちょっと、恥ずかしいですね・・・・・・」
「・・・・・・・・・・・・」
瞬時に、何か満たされていくような、充足感を感じる。
単純なものだな、俺も。と、心の中で苦笑するしかない。
否定できない事実なのだ。
彼が『セナ』と呼ばれることに対して、それを彼が普通と受け止めていることに対して、自分が嫉妬を感じていたこと。
そして、そんなくだらない感情が、彼に名前を呼ばれただけのことで、満たされるということ。
理由など、探す気もなくしてしまうような。
控えめに称するとすれば、執着心。
未だ少し、赤面の名残を残すように、俯き加減な彼の顔を、彼のそれより一回り以上大きな手でこちらを向かせる。
恐らく緊張の所為であろう、硬い表情をしているセナの目としっかり合わせ
「セナ」
と呼ぶと、彼は顔を紅く染め、照れ臭そうに笑いながら
「はい」
と返事をした。