優しくされるのは、嫌いじゃない。
大切にされるのも。
ただ、それじゃいけないんだって、感じ始めたのは何時からか。


『Balance』


見るだけで体感温度を下げるような寒空を見上げて、セナは
 そー言えば、今日は特別寒い日だって、テレビで言ってたっけ?
と、今朝何気なくつけたニュースを思い出した。
それでも、いつものように走っていれば、体は温まっていたのだろう。
けれど、今日は走っていなかった。
否、“走れなかった”の方が、多分、正しい表現なのだろうけど。
踏みしめる度に、サク、だかザク、だか。
尋常でない音を立てる地面を、セナは歩き続けながら見下ろした。
そして、その目を前方へと向ける。
そこには、いつもは走っている姿を見るはずの、(自分よりは)背の高い男の姿。

「ついてない・・・・・・、ですね」
小走りして、その隣に追いつくと、セナは遠慮がちに声をかけると、
「・・・・・・走れなくてか?」
相変わらずマイペースで歩きながら、隣の進が訊ね返した。
「はい」
前日の雨と、今日の恐ろしく低い気温の所為で、今日のコンディションは最悪。
場所によっては、うっすらと氷を張っている場所もあるようで、いつものランニングは取りやめになったのだった。
それを言い出したのは、進の方。
『練習をするのもいいが、それでこんな日に下手に怪我をしてしまっては、元も子もない』
との言葉に、ただただ練習することだけを考えている、ってわけじゃないんだ、と、セナは感心したとか、しなかったとか。
そんなこんなで、ランニングをするわけでもなく、こうして2人外へ出てきたが。
考えてみれば、進は、学校に帰って筋トレなりストレッチなりと、することならあるのではないだろうか?
まもり姉ちゃんの目があるゆえ、自由に、というわけには行かない自分と違って。
そんな風にふと思いつき、セナは首を捻った。
「あの・・・・・・帰って練習とかしなくても、いいんですか?」
すると、進は気付いたように目を細める。
そして、
「まぁ、いつもならまだジョギングをしている時間だ。お前を泥門まで送ってからでも、普段通りにいけるだろう」
と、暗にセナを高校まで送ると。
勿論嬉しくないはずもなく、セナの頬は、我知らず紅潮した。
羞恥、歓喜というよりは、単なる気恥ずかしさなのではあろうけれど。

しかし。
と、そこで一つ、思いとどまる思考。
何の違和感もなく、そうして相手に(ある意味)甘やかされている自分ではあるけれど。
それでいいのだろうか?
純粋に考えて、自分と相手とは、対等であるはずなのに。
(勿論、体格差・筋力差・その他諸々を無視した話)
・・・・・・だって、僕だって同じ男・・・・・・だよねぇ?
今まで、幼馴染の彼女に保護されることに慣れていた所為で、それに気付かなかったのかも知れない。

悶々と考え込んでいるうちに、セナは自分の足取りが速くなっていることを知らない。
気付いたのは、自分の足が自分の意思の支配下になくなった瞬間だった。
「うぅっわっ!?」
ツルッ、とでも効果音をつけそうな勢いで、足元が滑る。
進の、ランニング中止発言は、正しかったというわけだ。(もう遅いが)
重心を失ったセナの体は、重力に逆らうことなく、しりもちをついた。
「いったぁっっ」
「小早川!?」
ストレートに打った腰の痛みに、顔を歪めながら、セナは打った箇所をさする。
そのかなり痛そうな表情と、仕草に、進も心配し、セナを覗き込んだ。
「だ、大丈夫か・・・・・・?」
「は、はぁ・・・・・・・・・・・・」
何も無いところで(不可抗力とは言え)こけて、しかも腰まで打って。
情けないやら恥ずかしいやらで、セナは自分に一抹の悲しさを感じた。
・・・・・・こんなんだから、いつまでも庇われる側なのかもなぁ・・・・・・。
心の中で溜息をつくセナに、す、と伸びてくる手。
「・・・・・・いつまでも座り込んでると、体を冷やすぞ」
セナが顔をあげると、進が自分に手を差し伸べていた。
起こしてあげるため、というのは言わずもがな。
元々の性格なのだろうか。
こういう、自然に“紳士的な行動”を取れるのは。
女性相手なのであれば、嬉しがったりときめいたりするのだろう、けれど。

「・・・・・・・・・・・・」
しっかりと自分に差し出された手を握らずに、セナは自分で立ち上がった。
「嬉しいですけど・・・・・・いいです、自分で、立てますから」
少し笑みながら言うと、進は一瞬面食らったような表情になった。
セナには手に取るように分かる。
拒絶されただろうか、と彼が不安になっていることが。
表情にちら、とも出さない割りに、揺れ動きやすい相手に、セナは少し苦笑した。
「あ、違いますよ?嫌とかじゃなくって・・・・・・そういうのじゃ、ないんです。僕と、進さんは」
「・・・・・・・・・?」
意味の掴み難い言葉に、進が眉を寄せる。
その意を、目で探るかのように。
「進さんは、僕が追いかけて・・・・・・追い抜かなきゃいけない人です、から」
だから、そのためにこそ。
自分はこうして走ったりとか、トレーニングとか、しているわけで。
「だから・・・・・・護られてるんじゃ、駄目なんですよ、ね?」

優しくて頼りなさ気で、そのくせどこか挑むような目で、セナは微笑った。
護られてるのも、優しくされるのも、嫌いなわけじゃない。
けれど、『それだけ』なら誰にだって出来るんだから。
“僕”にとって“彼”は、
“彼”にとって“僕”は、
『それだけ』じゃない、筈。

だから。
宣戦布告です、進さん。
「だから、・・・・・・もう帰れるし、進さんも自分の練習、頑張ってください」

『倍強くなる』んでしたよね?
僕も負けないように、頑張りますから。

セナが笑って言う。
しばらく、彼の見せた意外な一面に、呆けていた進は、というと。
それでも、そのように言われれば、元来スポーツマンなのだから、闘争心が駆り立てられるのは当然。
例えそれが、小早川セナ相手であっても。
否、相手が彼だからこそ、といったほうが正しいのか。
いつも通りの引き締まった表情に戻り、いつもと違う笑みを浮かべる小さな少年に、背中を向け
「こっちもだ・・・・・・負けるつもりは、毛頭ないからな」
布告返し。

「・・・・・・はいっ」
にっこりと笑ったまま、同じように踵を返し、セナは自分の高校へと足を向けて、しっかりとした足つきで歩き出す。
首だけ振り返ってそれを見た進は、自分の口の端がつりあがるのを感じた。
恐らく初めてみたと思われる、セナの強い表情が、フラッシュバック。
(試合中はどんな表情をしていたってアイシールドで隠れているため)

『追い抜かなきゃいけない人です、から』
『護られてるだけじゃ、駄目なんですよ、ね?』

「そう、だな・・・・・・・・・、楽しみにしてるぞ・・・・・・」



END