クレヨン



「なにやってんだ、テメー・・・・・・」
どこか呆れたような、彼の声。
いつものことと言えばいつものことだけれど、まぁ、気持ちは分かる。
何せ僕は今、クレヨンを握り締め紙に向かっているのだから。
・・・・・・・・・別に幼児退行とかじゃありませんけどね。
ふとしたことから見つけたクレヨンに、懐かしさを覚えて。
昔やった遊びとかを、思い出してみるのもまた一興かなぁ、と思いまして。

白い紙を、カラフルに塗りつぶしていく僕を見ながら、ヒル魔さんは悪態をついた。
「随分とガキくせーことやってんな」
彼の辛口(というか毒舌というか)は毎度のことだが、今回は言い返す事も出来ないので、ただ苦笑する。
「昔、やりませんでした?この上に黒のクレヨンで塗りつぶして・・・・・・」
言いながら、幼少の頃をぼんやりと思い出した。
黒に塗りつぶした紙に、爪楊枝なんかで引っかいて絵を描く。
すると、下に綺麗な色が現れる。
その色が、漆黒の中、とても綺麗に映えて。
当時の僕や周りの子達も、少なからず感動して、楽しんでいたように思う。
「知ってるけど、やったことはねーな」
僕のせかせかと動いている手を見ながら、ヒル魔さんが答えた。
確かに。
如何に幼少の頃とはいえ、この人が周りの子供に混じってお遊戯に参加、というのは、ちょっと想像付かない。
尤も、それは現在のイメージから来るものなのだけれど。
思わず、大きな画用紙の上に絵を書き散らす、園児ヒル魔さんを思い描き、噴出しそうになるのを必至に堪えた。
そうしながらも、紙の上では染色が進行していき、カラフルだった紙面は、いつの間にか真っ黒に。
「・・・・・・・・・“闇夜の烏”の絵だな」
と、ふと呟いたヒル魔さんの言葉は、まるで本人が昔そんな絵を描いたことがあるのを想像させる。
けれど、僕は何故か妙に納得してしまったのは、彼に失礼だろうか。

さて、何の絵を描こうかな。
言っては何だけれど、僕の絵はお世辞にも『上手』とは言いがたい。
自慢にもならないけれど、美術の評価は「5」段階でせいぜい「3」。
まぁ、別に綺麗さを誰かと競うわけでもなし、気楽に落描いてみればいいか。
僕は、一人納得して肩の力を抜き(最初から入ってもないけれど)、用意してあった爪楊枝を摘み上げた。
それに、この方法を使えば、何を描いてもそれなりに見栄えがすることを、僕は知っている。
とはいえ、何を描くかも決まっていなければ、それの滑らせようが無い。
ふむ、と顔をあげると、目線をその紙の闇に落としているヒル魔さんが、目に入った。
・・・・・・・・・あ、なんかマッチしてる感じだなぁ・・・・・・。
そんな風に思った。

「黒・・・・・・って感じですよね、ヒル魔さんは」

そう口にすると、彼は落としていた目線を、こちらに向けた。
その眼は、まるでクレヨンの黒に染まったかのように黒い。
うん、やっぱりこの人は、黒のイメージだ、と。
僕は勝手に納得した。
僕の言葉が半分不可解だったのか、ヒル魔さんは少し眉を顰める。
「そりゃ、黒の服着てるからじゃねーのか?」
確かに、彼の今きている服は、無地の黒いシャツ。
着る人をあまり選ばなさそうな黒の服でも、ココまでぴったり似合う人は少ない、というほど似合っている、けれど。
「ん〜・・・と、似合う・・・・・・っていうのと、また違うんですよね、なんか。
 こう・・・・・・ヒル魔さんを色に例えるとしたら、黒だな〜・・・・・・みたいな感じ、なんですけど」
ほら、黒って何でも塗りつぶしちゃうし。
との言葉だけは、場合によっては彼を怒らせる原因となりうるので、胸のうちに伏せておく。
「ふーん?よー解からんけどな」
・・・・・・そうですか、解かり難いですか。
僕なりに、一番解かり易く説明したつもりだったんですが。
「じゃ、お前は何の色だよ?」
唐突に質問されて、僕は戸惑った。
「僕の・・・・・・色、ですか?」
「それ以外なんか有るか?」
いちいち聞き返してんじゃねぇ、という態度で言い返されて、僕はいいえ、と首を振った。
「うーーんーーと・・・・・・・・えー・・・・・・・・とぉ・・・・・・・あ、白・・・・・・かな?」
12色揃った箱の中のクレヨンを、1つずつ見ていきながら、ふと思った色を。
それを聞いたヒル魔さんが、同じように白のクレヨンに視線を寄せる。
「白たぁ、また、随分と高尚な色を自分に選んだなぁ?」
「え?あ、いや、あの・・・白ってあんまり目立たないし・・・・・」
高尚、とは言われたが、あまり良い意味では選んでいない。
ヒル魔さんは(失礼にも)頷いて、しかも
「すぐ他の色にも、染められやすいしな」
と、嘲笑うかのように付け足した。
・・・・・・いや、まぁ確かにその通りなんで。
文句の一つも言えやしないですけどね。
返す言葉もなく、苦笑いを浮かべていると
「けど」
と、彼の長い骨ばった指が、転がっている爪楊枝を摘み上げた。
そして、そのままその手を真っ黒な紙の上に持っていき、紙面をカリッ、と削った。
丁度、何も塗らずに白いまま、黒だけを塗り重ねた部分。
勿論、クレヨンの削り取られた部分の下からは、白い地が出てくる。
考慮の上でここを削ったとすれば、ヒル魔さんはなんだかんだと言いながら、僕の作業をじっと見ていたのだろうか?
ヒル魔さんが、適当に引いた白い線は、真っ黒な暗闇の中に、よく映えた。
「白は黒の中にあると、目立つんだよ」
言いながら、彼は指で摘んだ爪楊枝を、円を描くようにして滑らせる。
それに従って、黒の中に無遠慮な広い丸が浮かび上がった。

「だから、テメーは俺ン所に居ろ」

「・・・・・・・・・・・・」

・・・・・・・・・・・・それは。
アメフトをやる、ということに於いてなんでしょうか?

訊ねかけて僕は止めた。
どんな返事が返ってきたとしても、自分が少なからず動揺するのは目に見えている。
第一、意識しすぎだ、と思われるのも恥ずかしい。

「お言葉に甘えて、そうさせてもらいマス」

出来るだけ冷静に、そう答えて、僕はヒル魔さんの手放した爪楊枝を、再び拾い上げた。
まだ真っ黒な部分に、拙い記憶だけを頼りに、アメフトボールを形作ると
いびつな形の色鮮やかなアメフトボールが、漆黒の中浮び上がった。



終わり