『+−(プラスマイナス)』
対照的な性質の2人。
足して2で割れればいいのに。
ヒル魔宅に足を踏み入れたセナは、まずその意外な広さと清潔さに驚いた。
「けっこう清潔にしてるんですね・・・・・・」
御邪魔します、と言うのも忘れて、玄関で周りを見渡した。
すでに靴を脱いで、部屋を開けているヒル魔が振り返る。
「あぁ?なんだよそりゃ。意外みてーだな」
「あ、いいえ、男の人なのにちゃんとしてるんだなー、と・・・それに広いですね」
と、セナは驚きと憧れと、羨望・・・などいろいろと混ざったような、複雑な表情で、感心したようにマンションの一室に目を瞠った。
「まぁな。つーかてめー、ぼさっとしてねぇでさっさと上がれよ」
「あっ、ハイどうも・・・御邪魔しまーすっと・・・・・・」
ためらい気味に、ヒル魔に促されるままについていく。
通されたワンルームマンションの部屋には、机が無造作とも言える様子で、置いてあった。
ちらっ、と部屋中に視線を這わせてみると、けっこう物が少ない。
部屋を有効に使えるような、小さめのテレビの隣には、ビデオテープが詰まったケース。
映画の線も捨てがたいが、多分アメフトの試合とかの記録だろう、とセナは予測を立てた。
反対側の壁際に置いてある本棚に見える雑誌は、やはりアメフト関係のものだと推測される。
テレビの正面には、1人で使うには大きめのソファ。
その不自然な大きさに、セナは疑問を持ったが、ベッドが置いていないところを見ると、それをベッドとしても使っているのだろう。
一言に「ワンルーム」というには、少しやはり広い気がしたが、その中にヒル魔妖一の生活が、詰まっていた。
ヒル魔の自宅を初にお目にかかり、不思議な感慨にふけっていたセナだったが、来た目的を思い出すと
「はぁ・・・・・・」
ため息をついた。
その日は、試験前部活停止週間に入る前日の、最後の部活だった。
「〜〜〜ったく、試験前だからって1週間も部活休んでなんからんね−んだよ、糞!」
部活終了後、ドスンガタンと道具を片付けながらヒル魔が吼える。
片付けられているものの中には、部活に関係ないどころか、法律で所持が禁止されているはずのものもあったが。
「まーまー、仕方ないよヒル魔。勉強も一応しないとね」
ヒル魔が片付けた(投げ捨てた)道具を、ちゃんとした位置に戻しながら栗田がなだめるように言った。
そう言いながらも表情がいつものように明るくないのは、やはり部活休みが痛いのか、試験前の憂鬱か。
同じように道具を運びながら、
「試験前かぁ・・・」
と、困ったような表情をしてセナがため息をつく。
心底嫌そうな表情のセナに、栗田が苦笑した。
「うちの学校、点数が悪かった科目は補習受けさせられるから、頑張らないとね」
「やっぱりソレ、本当なんですか?・・・どうしよう・・・・・・」
補習、という言葉を聞いて、セナの顔がますます蒼白する。
「セナ君ヤバイ科目あるの?」
「あ、その・・・・・・数学は苦手なんで・・・赤点取るくらいの覚悟だったんですけど」
「赤点だぁ?オイてめぇ、そんな点取ってみろ、補習だぞ?部活はどうすんだよ?」
セナの言葉を聞いて、もともと不機嫌だったヒル魔の声は、更に鬼のようになった。
「ひぃぃっ、と、取らないように頑張ります・・・っ、けどホントに苦手なんですよっ」
竦みあがりながら、セナが答える。
確かに、小学生の頃はまだしも、中学に入ってから数学はろくな点数を取っていなかった。
社会系の教科は努力しだいで点数は取れるので、どちらかといえばセナの得意科目である。
国語・英語は、文型のほうが得意なセナにとっては、苦手の対象ではなかった。
しかしながら、もともと理系人間ではないセナにとって、数学は苦手中の苦手であり。
特に、高校に入ってからの数学の授業ほど、セナにとって難解なものはなかった。
時たまやる数学の小テストでも、必死に予習をした上で教師をギリギリ納得させる程度しか功績を上げていない。
取らないように頑張る、と言っても、性質ではないかと疑いたくなるほど、数学苦手の自分のことである。
実際に補習を免れることが出来るかどうかは、自信がなかった。
が、自信がないから、と言って許してくれるほどに、この部活の先輩は甘くない。
いや、片方は慈悲の塊のように優しいが、もう片方はまさしく、『悪』の文字がぴったり似合うような鬼畜である。
「頑張るんじゃねぇんだよ。取るな、んな点数!」
と、不条理な無茶を、ためらいもなく発してくれる。
「ひーっ、そ、そんなむちゃくちゃな・・・・・・」
どうしようもない状況に、セナが頭を抱える。
そこへ栗田が出してくれるのは、もはやいつもの慣習ともいえる茶飯事なのだけれど。
今回のそれは、寧ろセナの恐怖を増加させそうなものでしかなかった。
「うーん・・・ヒル魔は数学得意だったじゃん。ヒル魔が教えてあげればいいよ」
「!!!」
「俺がぁ?」
驚愕に目を見開くセナと、露骨に面倒くさそうな顔をするヒル魔。
「セナ君に部活休まれたら、ヒル魔だって困るでしょ。僕も数学あんまり得意じゃないし」
だからヒル魔が教えるのが一番だろう、と、のほほん笑顔で栗田は(セナにとって)恐ろしいことを、さらりと言う。
「いや、あの、その・・・・・・ぼ、僕、自分で頑張りますんで・・・・・・」
冗談じゃない、とセナは思った。
頭の中で、ヒル魔に数学と教えてもらっている自分をシミュレートする。
5分以内に解け、と数学の問題を出され、銃口をこめかみに当てられている自分。
『こんなもんも分かんねーのか』、と怒鳴られ、どつかれている自分。
などなど・・・・・・・・・・・・。
なんにしろ、穏やかな勉強風景が想像できないのは、セナにとってはいわば当たり前。
それくらいなら、缶詰状態になってでも、独学した方がいいのではないか。
しかし、めんどくさい、と思っていたヒル魔は、嫌がるセナを見ると、逆に教えてやろうじゃないか、と言う気にもなる。
犬が人を追いかけるのは、人が逃げるからだ、という理論とも言うか。
「オイ、ずいぶん嫌そーじゃねーか、チビ」
「ひっ、そ、そういうわけではないんですけど・・・・・・」
「そーかそーか、じゃあ教えてやろう、ありがたく思え」
「・・・・・・・・・・・・ありがとうございます(泣)」
そういうわけで、今日の勉強会が決まったのだった。
「で、わかんねーって、お前何がわかんねぇんだよ?」
セナの反対側に腰掛けたヒル魔が、数学の教科書をぱらぱらとめくりながら言った。
自分がかつて通過した単位のところを見ながら、「おー、なつかしーなー」など、呟いている。
何が分からないのだ、と聞かれて、セナは一体何が分からないのか、思い出そうとした。
「な、何って・・・・・・なんだろう?」
「はぁ?アホか、お前」
はい、そうです、アホです、とセナは答えたくなった。
「だって、本当に分からないんですよ、根本的に」
「あーったく、・・・・・・今度の試験の範囲どこだ?」
「え?あ・・・・・・教科書かしてください・・・・・・このライン引いてあるページです」
ヒル魔の手から教科書を受け取り、ブルーのマーカーで引いたラインを指す。
「ここか・・・・・・んじゃ、この問題とりあえず解いてみろ」
「は、はぁ・・・・・・」
とりあえず、言われたとおりに示された問題を解いていく。
それは、ほとんど基本問題といえるような例題ではあったが、数学苦手のセナにしてみれば、問題だけで難解な外国語であり。
しばらく問題の意味を考えて黙っていると、
「オイ、もうわかんねーのかよ」
と、いらいらしたようなヒル魔の声が頭上から聞こえた。
「や、あの・・・・・・問題の意味がすでに分かんないっていうか・・・・・・」
「・・・・・・お前みてーな、根本から数学できねーやつも珍しーな・・・・・・」
もはや、呆れたような諦めたような顔で、ヒル魔が言う。
セナは、
「はぁ・・・・・・」
としか、答えようがなかった。
「仕方ねーな・・・・・・」
と、言いながら、ヒル魔が説明をし出した。
「あ、なるほど・・・・・・」
「分かったかよ?じゃあ次な」
勉強会(?)が始まり、1時間と少し。
ヒル魔の教え方が上手いのか、少なくともセナには合っていたようで、セナの数学は順調に進んでいた。
その教え方というのも、なかなか的を得た教え方で、ちゃんと理解している、ということが教えられているセナにも良く分かる。
「ヒル魔さん、本当に数学得意だったんですね・・・・・・」
疑っていたわけではなかったが、あまり勉強に情熱を傾けそうでない彼が、勉強が出来るというのが、意外だった。
同時に、羨ましくもあったが。
「あぁ?こんなもん、1回理解すりゃすぐできんだろ」
「でも、やっぱり数学得意な人って、すごくないですか?いいなぁ・・・・・・」
中学3年間、そして高校受験のときにも、数学にとことん悩まされてきたセナは、尊敬と羨望の眼差しでヒル魔を見た。
「そんかわし、社会系の記憶モンは苦手だけどな」
「そうなんですか?」
「覚えるのは嫌いなんだよ、俺は」
なるほど・・・、とセナは思った。
確かに、記憶モノの科目は、絶対にテスト前に勉強しなければ点数は取れない。
テスト前の勉強を特にしそうでない彼にとっては、苦手分野かもしれない。
逆に、とりあえず手は尽くすタイプのセナにとっては、覚えれば点数は取れる社会系は、得意な科目であった。
「じゃあ、僕と正反対ですね・・・・・・」
何気なく言いながら、セナはふと考えた。
数学が超のつくほど苦手な自分と、驚くほど得意らしいヒル魔。
しかし逆に、努力次第でなんともなる科目は得意な自分と、そのたぐいは苦手とするヒル魔。
女に守られるほどに気の弱い自分と、人生でビビったことがあるのかどうかさえ疑わしいヒル魔。
明らかに支配される性分である自分と、常に人を支配して生きてきたように見えるヒル魔。
どこをとっても、いわば正反対である。
自分の性分は、あまり人に褒められるものではない、と自覚しているが、逆にヒル魔の性格も行き過ぎの感は否めない。
中間を取ったら、バランスがいいのになぁ・・・・・・と、セナは一人納得する。
きっとヒル魔は、
『お前の弱っちぃ性格なんか、欲しくねぇんだよ』
と嫌がるに違いないが、セナとしては、彼ほど行き過ぎたくはなくとも、あれだけの気の強さは少々羨ましいところで。
「足して2で割れたらいいのになぁ・・・・・・」
数学の問題に手をつけながら、思わずふと呟いた。
「はぁ?何の話だよ?」
ヒル魔が、訳がわからない、といった表情をする。
確かに、セナに今やらせている問題は、足し算などおよそ関係のない範囲なので、仕方ないかもしれない。
「あ、その、僕とヒル魔さんの性格とかを、足して割れたらなぁー、って・・・・・・」
セナは、簡単にそれだけ言った。
ヒル魔の性格が度を越えている云々の話は、もちろん口には出さなかったが。
「足して2で割る・・・・・・ねぇ・・・」
関係ないこと考えてんな、と怒られるかと思ったが、ヒル魔は考えるような顔をした。
ふと思いついたことに、そんなに考えられてもどうしようもないので、
「まぁ、単にちょっと思っただけなんですけどね。どうせ想像の話ですし・・・・・・」
関係ない話してスミマセン、と、セナが再び教科書とノートに目を落とす。
「出来ねぇこともないだろ」
唐突にヒル魔が呟いた。
「は?」
「足して2で割る・・・・・・」
「いや、で、出来ないでしょう・・・・・・。思っただけですよ?僕」
何を言い出すんだ、この人は、と疑問だらけの頭で、セナが打ち消す。
と、ヒル魔は勢いよく立ち上がり、教科書の上に置かれていたセナの腕を、ひょいっと取る。
「わっ、な、何ですか?何す・・・・・・」
「割り算はしらねーけどな」
「は、はぁ?割り算?」
「足す・・・・・・足し算だったら、やっぱコレしかねーだろ」
そう言いながら、一人納得顔でヒル魔はまだ立ち上がってもいないセナを、ずるずると引っ張っていく。
セナが手を離したシャーペンが、床の上に転がった。
「足し算って・・・?一体何を・・・・・・てゆーか、コレってなんですか?」
当たり前といえば当たり前だが、未だに状況の飲み込めずに、セナが疑問ばかり口にする。
「足し算・・・・・・つまり『合体』だろ」
「がっ・・・・・・・・たい?」
やはりわけがわからずに、そのまま引きずられてたどり着いたところは、ソファ。
「え・・・・・・合体・・・・・・?ま、まさか・・・・・・っ」
足し算・合体・ソファ・・・・・・・・・。
とある事柄に、思考が思い当たった。
とたんに、顔面蒼白になるセナ。
冗談ですよね、と言わんばかりに、ヒル魔のほうを見る。
と、この上なく愉悦に満ちたヒル魔と、目が合った。
「!!!!!!」
「お前が言い出したんだろ」
「そ、そんなこと言ってな・・・・・・・・・ぎゃぁぁぁーーーーーーっ」
思わずセナの脳裏に、スーパーマンの格好をした栗田と、箒を持ったまもりが浮かんだが。
所詮、頭の中だけのヒーローは、自分を救ってくれるには足らなかった。
合掌。