2012年12月、ふと思いついて冬のパリに行こうと決心した。
友達から、マルタ島に行こうと誘われていて、その気に一 度はなったけれど、どうしても自分の想いとしっくりこない。
自分の本当に行きたいところはどこだろうかと思案していたところ、ふと30年前に行ったパリに思い至った。
当時、危険で活気にあふれていたパリ。今はどのようになっているのだろう。
外国への一人旅は、女房には悪いが老いたりと云えども何とも言えない開放感と緊張感がある。
旅の目的は二つ、一つは美術館めぐり。とにかく印象派の絵を多く見ること。だから、ルーブル美術館よりもオルセー美術館がメインとなる。
二つ目は、街路樹の葉が落葉してしまった冬枯れのパリの風景を写真を撮り画の材料にする事。
この二つに絞って5日間、ひたすらパリを歩き回ることにした。さて今回の旅の印象は!
ホテル
5日間パリでお世話になる宿は、オペラ座から歩いてでも行けるダウンタウウンのある小さなホテル。
ホテルの名前は、ホテル・マドリッド・オペラ。道路がYの字になっておりYの字の中心に位置しているホテル。 当然、建物は三角形の形状になっている。
7階建てで2階以上に部屋があり、部屋数はワンフロア―あたり7室となっているようなので全部で42室ぐらいの規模である。
一階はチェックカウンターと小さな食堂があり、そこで朝食が食べられる。それと、なぜかベーカリーショップがある。
上の階に行くにはエレベーターと螺旋階段がある。
エレベーターは奥行60pぐらい幅120pぐらいの3人乗り。 旅行鞄がある時は一人乗りになる。
乗り込むと『閉』のボタンがなく7秒ぐらいすると扉がおもむろに閉まる。 日本人には我慢、我慢!
部屋は風呂、トイレ、洗面所を含めて10畳ぐらい。
日本のビジネスホテルより少し大きい位。部屋は清潔に掃除されているようである。
最初に部屋に入った時には室内灯が点灯しなかった。ホテルの従業員は『明日、直します。』と云っていたが、結局、そのままであった。ベッドの読書灯がやけに明るいので辛抱する。
困ったことは、浴槽の長さが80p足らずの短いのと浴槽の溢流口が25pぐらいと浅く、それ以上の深さにはお湯がたまってくれない。 肩まで浸かろうとすると、それほど長くない折り曲げた脚が5p程お湯の外に出てしまう。
また、シャワーは浴槽の中に立ってするタイプ。日本のビジネスホテルではたいていの場合、カーテンがあり、それを浴槽内に入れて外にお湯が漏れないようになってしているが、このホテルのシャワーは、カーテンの 代わりにガラスで仕切り水滴が外に漏れないようにするタイプ。
ガラスの仕切りは動くようになっているが、不思議なことに浴槽の縁の外側までであり浴槽の内側までは動いてくれない。当然ガラスに当たったお湯は全てガラスを伝って外の床に垂れてしまう。
床にバスタオルをおいて漏れた水が下階に漏れるのを防がなければならなかった。何を考えているのやら。
便器は、形状が悪くトイレットペーパーが上手く流れてくれない。なんとなく、残しておくのは気がかりなので後で2回ほど流しに行くことになる。
まあそれでも、パリの中心の近くで低廉なホテルなので、それほど文句は言わない。 清潔なベッドと暑くなり過ぎない空調があればほぼ満足。
因みに、空調は日本の誇る空調メーカーのダイキン製だったけど。
バス
今回の旅行は5日間パリべったりだから、タクシーに乗らない、地下鉄にも乗らない、移動はバスですると決心 していた。そのため旅行の前にインターネットでバスの情報収集に時間をかけた。
まあ、それほど固い決心ではないけど・・・・・。
パリは地下鉄(メトロ)が発達しておりどこに行くにも何の問題もなく簡単に、かつ、早く行く事が出来る。
しかし観光客がメトロを使う欠点は、乗る駅と降りる駅の間はトンネルの中なので点から点への観光になって しまい、その間がつながらない。

それに比べバスの場合は、セーヌ川を渡ったとか、ルーブル の広場を横切ったとか、エッフェル塔が見えたとか、感じの良い カフェがあったとか、きれいなお姉さんが歩いていたとか連続して街の雰囲気を感じながら目的地まで楽しめることである。
バスの切符はメトロと共通で値段は1.7ユーロ(190円位)と安く、10枚切符(カルネという)を購入すると140円位と安くなる。
それに素晴らしいことに最初に乗った時間から90分間の 間は乗り降り自由でどのバスに乗り移ってもOKという優れもの。
パリの街は、それほど大きくないから90分だけでも相当に観光ができる。
バスを乗るための最大の問題は、道路の名前を知っておかなければ目的の場所行のバスストップにはたどり 着けない。パリのバスルートは概略、広場から広場につながっており、広場には放射状に7、8本の道路が伸びている。
パリでバスが一番集中するのはオペラ座の所である。
オペラ座の広場には7本の道路が放射状に広がっており16本以上のバスが乗り入れている。
それも一方通行になっているので目的のバスを見つけるのは大変。
道路の名前が記載されている地図を見てどの名前の道路のどの場所に行かなければならないか判断がいるし、バスは左側からくることを肝に銘じておかなくてはならない。
ところが地図に書かれている道路の名前の文字は、ものすごく小さくて老眼鏡では判読するのに苦労する。 結局、広場の外周を一周してバス停を探すことになる。
それでも2日位苦労すると何となく要領が覚えられ、おれもパリッ子老人になったかと少しうれしい。
それに比べ、パリと姉妹都市である京都の碁盤の目の道路は、なんてやさしいのだろう。
メトロ(地下鉄)
パリのメトロはアリの巣のように縦横無尽に貫通しておりどこに行くのも安く、早く、簡単に行く事が出来る。 しかも切符はバスと共通でバスからメトロへの乗り換えは自由である。
改札口は切符を改札入口に入れた後、改札口を横にふさいでいる7pぐらいの鉄の棒を体当たりして動かして入らなければならない。
電車の中には行き先の記載された大きな看板がありそれが頼りとなる。 もちろん、車掌がアナウンスしてくれるがフランス語に素養にない私などはほとんど聞き取れない。
とくに、フランス語は文字綴りの最初の文字を読んでくれないことがある。たとえばRepubliqueという駅の名前は、どう聞いてもエキビュケとしか聞こえない。
そこで聞き分けることは放棄して、乗ってから何個目の駅で降りるかをひたすら数えることになる。
ほとんどの車両は駅に到着してもドアーが自動的に開いてくれない。車両が停車したらドアのノブを自分で開けなければならない。
なかなか慣れないのでボケーとドアの開くのを待っていると自分の肩越しから突然手が伸びてきてノブをあわてて他の人が開けてくれる。
そういえば、ドイツの鉄道もライン川沿いの駅でドアを開けられず乗り越してしまったことがあった。自分でドアを開けなければ降りられないのはヨーロッパの鉄道では多いようだ。
乞食さん
乞食さんは日本でも都会ではときどき見かけるが、日本に比べフランスのパリでは頻繁に見かける。
日本の乞食さんは素人ポイ人が多いがパリの乞食さんは、まさしく立派なプロの雰囲気がある。
同じ繁華街(例えばノートルダム寺院付近など)の一か所に多くの乞食さんが集まっているという事でなく、それぞれ長年培ってきた自分のテリトリーがあるようで、適度に分散している。
当然、一か所に集まっていると、お貰いの額が減るわけで生活が成り立たなくなる危険があるからだろう。
ひょっとしたらパリ乞食互助会か協会なるものがあり、そこでうまくテリトリーがわけられているのかもしれない。
パリの冬は厳しい。乞食さんは当然、完全防寒スペックであり、特にお尻に対する防寒対策は完璧である。
公衆電話ボックスに段ボールが突っ込まれているのを見たが、それは寝るときに下に引く防寒用の段ボールであり、その大胆な乞食さんがいることに驚かされた。
子犬を連れている女の乞食さんが多い印象を受けた。それも大抵が子犬。それも雑種ではなさそう。子犬は毛布にくるまれて主人に抱っこされ安らかに眠っていることが多い。
男の乞食さんより女のほうが同情を乞いやすいが、それよりも子犬を見てかわいそうと思う。つい0.2ユーロ位は出したくなるのが付け目であろう。
ところがモンマルトルの近くのサクレクール寺院の前の石段に座っていた男の乞食さんは、なんと、シェパード犬であった。それも色艶の良い毛並みの立派な犬。おそらく主人も食うものも食わず、うまいものを犬に食べさせている様子。
それでも立派な犬を持てるのは、世界の人が集まる観光地サクレクール寺院の石段をがっちりとテリトリーにしてい るVIPな乞食さんだから ・・・・・・。
スリ
30年前、会社の出張でパリに行ったとき、午前中暇が出来たので一人でルーブル博物館に行った事がある。
当時はガラス製のピラミッドが広場になかった時代で切符り場は建物の入り口近くであったと思う。
入場券を買うために行列に並ぼうとしたとき3〜4人の10代の少女たちが私に近づいてきた。
一人の少女が新聞を持っていてそれを広げて私の胸に押し付けてきた瞬間、背広の内ポケットからパスポートが抜かれた。 幸いにもすぐに気が付いて『何すんねん!!』と関西弁を振りかざして取り返したことがある。
行列に並んでいた人たちは事情が分かると極東から来たと思われる田舎の兄ちゃんがやられそうになったのを見てニヤニヤと笑って観ているだけであった。
そして今回、30年ぶりのパリ。娘たちは一段とパワーアップしていた。
5日間パリの街を歩き回ったが、なんと!3回もスリに逢ってしまった。3回とも3〜4人の少女である。
地下鉄の入口、サクレクール寺院の正面の階段そしてシャルルドゴール空港まで行ってくれるバスの乗車場であるオペラ座のバス停。(下の写真)
  
メトロ入口 サクレクール寺院 オペラ座
今回は新聞を押し付けるのではなく、何か用紙を持ってきてそれにサインをしてほしいという。用紙にはサインをする複数の欄があり一人か二人のサインがすでにしてあった。
一瞬、原発の多いフランスでも原発反対の署名集めをやっているのかとか、女性権利向上の署名集めかと考えさせるのがみそ。
しかし過去に貴重な経験を持つ私は、”あゝっ、来よった”と直感。『ノーノーノー!!』と激しく拒否。メトロとサクレクール寺院では見事に離脱に成功した。
もっとも、鞄など持ってない手ぶらであったし防寒スタイルであるので相手もやりにくかったであろうと思うが・・・・。
三度目は、パリを去る最後の日。
空港に行くためオペラ座のバス停に行ったとき。この時は左手で旅行鞄を引きずり、右手は旅行用の肩掛けバックを持っている状態。
両手を十分に使えない状態であったという事情もあるが肩掛けバックの4か所ついているジップの内、二か所のジップを開かれてしまうという不手際であった。
幸いこういうこともあろうかと重要なものは奥深 いところに入れていたので被害はなかったが。
彼女たちがスリグループと分かっているのに強引に束になって接触してくるのは、もはやスリでなく強盗に近い。
パリでは外人の、しかも老人が一人でウロウロしているのは彼女たちにとって”カモがねぎと肉と鍋をしょっている”ように見えるらしい。
オペラ座など人が多いところは乞食さんとスリは何時もいると考えられる。どうしてパリの警察は取り締まらないのだろう。 ブツブツ・・・・・・・。
パリのトイレ
1.街中トイレ
フランスでは駅にトイレがない。街の中でもトイレはほとんど見つけられないが、たまに突然有ったりする。
日本であれば、なんとなくありそうな雰囲気が漂ってきて勘を働かせて探せば、なんとなく控えめなところに有ったりする・・・・・が、パリでは、あるときには街の真ん中に、これ見よがしに『ガンッ!』と立っている。
それは全長3mぐらいの楕円形でその形に沿ってカーブした扉が付いており扉の幅は1m足らず、高さ2mぐらいか。

日本の工事現場やらに置いてあるプラスチック製(FRP製)の移動式臨時公衆便所の雰囲気だが金属製で立派なもの。 男女共用でひとりしか入れない。
入口は常時閉まっており誰も利用していないときは扉の取っ手付近のランプが緑色に光っいる。
ボタンがありそれを押すと扉はジョンジョロ、ジョンジョロと5秒ぐらいかかって扉が開く。
中に入ると扉を閉めるボタンがあり押すと、再びジョンジョロ、ジョンジョロと閉まる。
すなわち10秒ぐらいの間、”私はこれから『おしっこ』をします。”ということを世間様に宣言することになる。
とくに中に入ってから扉の閉まるまでの約5秒間は長い。
その間、チャックを下げるわけにいかず、扉の外に向かってピースサインをするわけにもいかず。 ひたすら早く閉まることを祈るのみ・・・誰も見てないんだけれど・・・・。
ところでメトロのサンポール駅を出ると例の楕円形の奴があった。何事も経験と利用することにした。
便器の構造は水を流した後もある程度水を貯めておくタイプ。 終了したので水を流そうとしたら、突然便器が傾きながら壁側に引き込まれ、便器の中身を全て壁が飲み込んでしまった。
そして直後に壁から水の霧がプシューと音を立てて噴き出した。
その霧は私にも少しかかり、なおそのうえ、ピッー ピッーと警戒音まで鳴り出す始末。大急ぎで逃げ出した。 いったい私が何をしたというんだ!!
逃げ出した後、冷静になって考えてみるにトイレには自動洗浄装置がつけられており、決められた時間にそれが作動するようになっており、たまたま私が使用した直後に作動時間が来たんだと思う。
それにしても『便器の洗浄を開始します』ぐらいはフランス語でもいいから云えよ! まったく。
(2)カフェのトイレ
ノートルダム寺院は正面に二つの塔があり、そしてその塔に登る事が出来る。
正面向かって左側の塔には登り専門の階段があり、右側の塔は下り専用の階段がある。
パリ観光の目玉の一つだけに登り側の塔の下は何時も行列が出来ている。

塔の中には石の周り階段があり数百段の階段を上っていくと塔の途中からテラスに出る事が出来、目の下にはセーヌが流れ、パリ全体が見渡す事が出来る。 塔の頂上に行くにはあと数百段上る。
さて、本題。ノートルダム寺院を見物した後、その近くで遅い昼食をとろうと思い、それなりに由緒ありそうな赤いシェードが美しいカフェに入った。
カフェの中は、私の他は3組ぐらいのお客ですいていた。
給仕のおじさんがしきりにステーキを進めるのでフランスのステーキを試してみた。あとはサラダとビール、最後にコーヒー。
ステーキは、たばこの箱より一回り大きく厚さは4pぐらいの私には大きすぎるほど。それにポテトチップスがものすごい量。
食べきれるかなと心配したが肉は柔らかくておいしく、結局、完食。
コーヒーを飲み終えた後、トイレに行く。トイレは一人用の男女共用である。
扉を開けびっくり。床と同じ高さに馬蹄形をしたくぼみがある陶器が据えられている。
いわゆる昔懐かし、しゃがみタイプ、フランス編。日本でいう金隠しもないづんべらぼう。

思わず胸のポケットからデジカメを取り出し撮影したのがこれ。
世界中で一番素晴らしい便所は日本の温水洗浄のものだと思う。いまだに外国ではお目にかからない。
たぶん、あまり良いホテルに泊まらないからかもしれないが・・・・。 暖かい便座に座ると日本に帰ってきたなーと思う。
タバコ
パリはタバコ天国である。 歩きタバコ、道路へのポイ捨て何でもアリで吸い殻はあちこち散らばっている。
冬のパリは8時ごろでもまだ暗い。
暗い中で煌々と道路を照らしながら道路清掃車が水を撒きロータリーブラシでブラッシングしながらタバコや汚れを拾っていく風景が毎朝観られる。
”生まれも育ちもパリッ子っよ”というような小売店のご亭主が自分の店の前に出てきて吸っていたタバコをポイッとすてて店に入っていくのだから、まさに道路は灰皿代わりである。
さっそうと歩いてくる細めのジーパンの良く似合うパリジェンヌも、堂々の歩きタバコ。そしてポイッ。
パリでは犬を連れている人がまことに多い。 ところが不思議なことに道路に糞は落ちていない。 犬のほうが公衆道徳をわきまえているようだ。 ワンッ!
歩行者の交通ルール
世界広しと云えども、歩行者が横断歩道の信号を守っているのは、私の知る限りでは日本だけではないか。
アメリカ、ドイツ、オーストラリヤ、ニュージランド、中欧など、どこに行っても信号は参考程度で基本的には無視。
ひょっとしたら黄色人種は規則を守るのではないかと思っていたが中国では信号無視の歩行者に運転手が怒鳴り、歩行者は口汚くやり返す始末。
………ということは信号を守らないのは世界共通で、その中でほぼ守るのが日本だけでないだろうか。
横断歩道で信号を守っているのは、歩行の不自由な人や素早く歩くことのできない足の弱った老人、それに生徒を引率している学校の先生ぐらい。
それ以外の人は安全に向かいにたどり着けると判断すると信号の色には関係なく果敢に横断を開始する。
パリでは自動車に混じりオートバイやスクーターがものすごく多い。 それらがガンガン走ってくる。
パリッ子はオートバイやスクータの出足の良さを十分頭に入っているようだ。
”郷に入れば郷に従え”と真似をしようとするが信号を守る事に慣れている日本人(私のこと)は、信号が赤だと、どうしても出足の一歩が遅れてしまう。
交差点で自分一人だと、ふと気が付くと信号待ちをしている自分に気づく。習慣というものは恐ろしいものである。
自転車
横断者は信号を守らないと書いてきたが自転車族も堂々としたものである。
パリでは自動車の他にオートバイやスクーターがものすごく多い。 その中での自転車の健闘が目立つ。
フランスで石油が出たという話は聞かないのでガソリンが高い。ということで自転車が使われているようだ。
それにフランスではツール・ド・フランスなどの自転車競走の文化もあるし・・・。

日本では自転車は歩行者に次ぐ交通の弱者という取扱で歩道を走ることを許しているようだがフランスでは歩道を走れる特権は無し。 だから歩行者はなんの心配もなく歩道を歩ける。
パリでは自動車の交通渋滞を避けるためパリ市が用意しているレンタル自転車貸し出し場所がいろんな場所にある。
自転車は専用のデザインが採用されているのですぐに、それと分かるようになっている。
好きなところで借りて好きなところで置き捨てできるらしい。
京都あたりでもこのシステムが検討されているようだ。 試しに乗ってみたいと思ったが寒いのでやめた。
シャンゼリーゼーのマロニエが新緑のころに訪問できたら次は是非試してみたい。
デモ
メトロのサンポール駅で降りてセーヌ川北側二筋目のサンアントニー通りを西に向かって歩く。
その2kmぐらい先にホテル・デ・ビラの広場がある。
ぶらぶら歩いていると武装した警官が続々と広場に向かって集結していくが見える。
彼らは盾やこん棒やピストル、手錠等で厳重に武装している。シェパードの警察犬もつれている警官もいる。

ホテル・デ・ビラの広場の方では、笛の音がやかましく聞こえてきた。この広場はメリーゴーランドもある何時も、ほとんど、お祭り騒ぎのにぎやかな広場。
これは何か面白くなってきたと興味津々で近づいていくと車に積まれたスピーカから大音響で勇ましい音楽が鳴り響き、青や黄色の旗がひらめき、ホイッスルを吹き流しながら群衆が道路に座り込んでいる。
デモだ!!
武装警官とデモの先端とは10mぐらいの距離で対峙している。ひょっとすると衝突するかと少し期待を持って観ていたがデモ隊も警察隊も双方、あまり緊張感がないので30分ぐらい見ていたがあきらめることにした。
パリではデモはあまり珍しいことではないらしい。 何のデモかはわからずじまい。
パリの街
『パリは燃えているか』という白黒の映画、50年ぐらい前の映画だと思うが。
主演は、たしかアラン.ドロン、ジャンポール・ベルモント、カーク・ダグラスなど、そうそうたる俳優が出ていた。
第二次世界大戦の末期、1944年ごろドイツ・ナチス軍に占領されたパリでの話。レジスタンスがパリの街を破壊から守るというお話。
映画の中では瓦礫と化したパリのシーンがある。石を積み上げて作った建物が破壊されると煉瓦の山となり、倒れ切れなかった壁は遺跡のような風景で残っている。


瓦礫と化した建物を戦後、復旧することになるのだが普通考えるのは、元のままの建物ではなく新しい近代的なビルディングになるのではないかと思うがパリの街を見上げると戦後のままであろうと思われる風に復旧されている。
建物はあまり高くなく、柱は装飾されており、窓の外のテラスには鋳物で作った装飾性の高いフェンスが連なっている。
その心意気が世界の人々をパリに引きつけられる魅力になっているのだろう。
今も昔も魅力あふれる街である。
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