雪だるま









 朝から雪が積もり、大学の講義がいくつか休講になったことで、自主休校を決めた智史は、同じく自主休校になったあきのに会うべく、椋平家に向かった。
 現在は雪は止んでいるが、夜中に積もったと思われるものがおおよそ6〜7cmに及んでいる。
 道路にこれだけ積もれば、交通も滞るというものだ。轍はあるが、それ以外のところはまだ白い。
 シャーベット状になった、人の歩いた跡を辿りつつ、普段の1.5倍くらいの時間をかけて、智史は椋平家の前に立った。
 門扉から玄関まで、見事に真っ白で、歩いた形跡も僅かしかない。
 総一郎だけしか家の外に出ていないのだろう。そう思いつつ、インターフォンを鳴らす。
 程なくあきのの声がして、智史は門を開けて中に入った。
「いらっしゃい、智史」
 智史がノブに手をかけるより早く玄関扉が開き、あきのが顔を出した。
「よう」
「寒かったでしょ。早く入って」
 あきのに促され、智史は靴を脱いで上がらせてもらう。案内されたリビングには、倫子と悠一郎の姿があった。
「こんにちは。お邪魔します」
「いらっしゃい、大麻くん。悠くん、智史お兄ちゃんが来てくれたわよ」
 倫子に抱き上げられた悠一郎は、倫子の服をぎゅっと握りしめて、智史の顔をじっと見ている。
「あら、珍しい。大麻くんを見ても笑わないなんて」
「ホントだ。・・・悠ちゃん、智史お兄ちゃんのこと忘れちゃったの? 確かに、半月程会ってなかったけど」
 倫子とあきのが揃って首を傾げる。
「・・・警戒されてる感じだな・・・ま、仕方ないさ」
 智史は苦笑して肩を竦めてみせた。
 この前会ったのは、新年になって間もない頃だった。それから、1歳の誕生日を来週に控えた悠一郎は、それだけ成長しているということなのではないだろうか。
「・・・まあ、そのうち思い出すでしょ。智史、お茶入れてくるね。おかあさんも、紅茶でいい?」
「ええ、ありがとう」
   倫子は智史にソファに座るよう促し、悠一郎を絨毯の上におろした。
 すると、智史を少し意識したかのように見つつ、悠一郎はソファにつかまって立ち上がる。
「・・・おお、立てるようになったのか」
 智史が目を丸くすると、悠一郎は更に、ソファを伝うようにしてよちよちと歩き、テーブルへと渡って智史の傍までやってきた。
「おお、すげーな、悠一郎。頑張ったな」
 智史がそう声をかけて頭を撫でてやると、ようやく悠一郎はニコッと笑った。
「まあ・・・つたい歩きが出来るのをお兄ちゃんに見てもらいたかったのね、悠くんは」
「え、そう、なんですか?」
「ええ。凄く得意そうな顔してるもの、今。大麻くんに出来るところを自慢したかったみたいね」
 智史は小さな悠一郎の顔をじっと見つめる。
 中学、高校とさんざん怖いと言われた目つきの智史だが、あきのは勿論、倫子や悠一郎も怖いとは感じていないらしい。
「ちっこいのに、ちゃんと大きくなってんだな、悠一郎」
 僅かに笑みを浮かべると、悠一郎は再びニコッと笑う。そして、更に智史に近づき、膝につかまった。
「・・・あ、悠ちゃん、お兄ちゃんのとこまで歩いたのね」
 温かい紅茶の入ったトレーを持ったあきのがリビングに戻ってきて、その光景を見て微笑む。
「そうなのよ、あきのちゃん。悠くんったら、大麻くんにアピールしたかったらしいわ、つたい歩き出来るよって」
「ああ・・・それで智史の顔をじっと見てたのね、悠ちゃんってば」
 紅茶をテーブルに並べると、あきのは智史の隣に腰を下ろす。すると、悠一郎はあきのの膝につかまってきた。
「悠ちゃんにもちゃんとミルク持ってきたわよ」
 あきのは悠一郎のコップを倫子に渡す。
 それが不満なのか、悠一郎はイヤイヤと言う感じで首を振った。
「悠くん、お姉ちゃんから飲ませてもらいたいの? でも、今はダメよ。さあ、こっちにいらっしゃい」
 倫子は笑顔でそう言うと、悠一郎を抱き上げて自分の側に座らせた。
 悠一郎はどこか不服そうだったが、ほんのりと温かいミルクの誘惑には勝てず、母の倫子にストロー付のカップを支えてもらいつつ、それを飲んだ。
「智史、私たちも飲もう」
「ああ」
 あきのの笑顔に、智史もカップを持ち上げた。
 ふわりと漂うベルガモットの香りに、智史は少しだけ瞠目する。
「アールグレイ?」
「ええ。智史、好きなんでしょ? 私とおかあさんも割と好きだし、この前買っておいたの」
 昨年京都へ行った折に、智史がアールグレイを好んでいると知ったあきのは、機会があれば用意しておきたいと思っていた。年末頃に、たまたま倫子が紅茶を扱うお店に取材に行ったことがあり、その際に購入を依頼しておいたのだ。
 それが今日、ようやく出せたという訳である。
「何か、気を遣わせちまったな」
「ううん、ホントに私も好きだから。それに、これはお菓子作りなんかにもいいって、おかあさんが聞いてきて。この前、クッキーを作ってみたら、割といい香りが出てね、成程って思ったの」
「そうなんか。・・・それで、時々うちにもあるんだな」
 本当に稀に、だが、大麻家に少量のアールグレイの茶葉が存在することもある。その時だけは、知香が智史に淹れてくれる。
 そして、紅茶の香りのケーキやクッキーが作られるのも、それが存在する時期に合致すると、智史は今気づいた。
 尤も、智史と父の安志は、それらのお菓子を口にすることはほぼ無いのだが。
「あーあ、にーに」
 ミルクを飲み終えた悠一郎があきのと智史に向かって手を伸ばす。
「あら、悠ちゃん、抱っこしてほしくなったの? それとも、お兄ちゃんに遊んでもらいたいのかな?」
 あきのの言葉を聞いて、智史は僅かに眉根を寄せた。
「悠一郎・・・もしかして、喋った、のか?」
「ええ、そうだけど? 私のことは何故か『あーあ』なのよね。きっと『あきの』って言いたいんだと思うの。おかあさんのことは『かー』だし、父のことは『とー』って呼ぶわ」
「ってコトは、『にーに』ってのは・・・」
「そう。智史のことよ。『お兄ちゃん』って言ってるつもりなんだと思う」
「・・・凄いな・・・こんなちびっこいくせに・・・」
 智史は瞠目して小さな顔を見つめる。その純真な瞳は未知数の可能性を秘めているかのように輝いている。
「・・・あの、倫子さん」
 突然の智史の呼びかけに、当の倫子は勿論、あきのも不思議そうな表情になった。
「何かしら」
「悠一郎、外に連れてってもいいですか。雪、近くで見せてやりたいと思って」
 思いがけない提案に、倫子とあきのは目を丸くした。
「あら、そうねえ・・・」
「・・・いいかも。こんな機会、滅多にないんだものね。ね、おかあさん、暖かくして、あまり長い時間にならないようにするから」
「そうね・・・確かに、貴重な機会だものね。・・・あきのちゃん、大麻くん、よろしくね?」
 倫子の返事を聞き、あきのは急いで悠一郎のフードつきの小さなダウンジャケットを取りに行き、それを着せた。靴下も暖かなものに替えて、長靴を用意する。
 それらを身に着けた悠一郎を智史が抱き上げて、あきのと共に外へ出た。
「うわぁ、寒いね」
「そりゃあそうだろ。ま、降ってないだけマシだ」
 智史とあきのはリビングから見える庭の方へ移動し、中にいる倫子に軽く手を振った。
「ほーら、悠ちゃん、雪よー」
 あきのがベンチの上を指さす。
「あきの、ちょっと抱いてやってくれ」
 智史はあきのに悠一郎の身体を預けると、テニスボールくらいの雪玉を2つ作って重ねた。
「わあ、雪だるまね」
「まーま?」
「雪だるま、だぞ、悠一郎。さわってみるか」
 智史が悠一郎の手をそっと雪だるまに触れさせる。
 冷たさに驚いたのか、悠一郎は体をビクッと震わせ、それからイヤイヤをするように首を振った。
「冷たかったのね」
「そりゃあ冷たいよな、雪なんだし」
 ぎゅう、とあきのにしがみつくようにくっついている悠一郎に、智史たちは苦笑する。
「悠ちゃん、冷たいけど、真っ白で綺麗でしょう? こんなに積もることは珍しいのよ。もうちょっとだけ見ていようね」
「・・・んじゃ、もう少しでっかいのも作るか」
 智史は木の枝の上やベンチの雪を集め、ハンドボールくらいの玉を2つ作って、それを転がしてさらに大きくした。
「楽しそう・・・」
「やってみるか? あきの」
 智史は悠一郎を抱くのを交代して、雪玉をあきのに預ける。
 実際に転がしてみると、意外と難しい。
「智史〜、なんだかヘンな形になっちゃう〜」
「案外難しいだろ? そっちは土台の方にすりゃあいいから、もう少しだけ頑張れ」
 思うより重くなった雪玉を、あきのはなんとか転がしてみる。庭の雪がだんだん薄くなり、地面が覗く部分が増えていくと、智史はあきのにストップをかけた。
「あきの、代われ」
 悠一郎をあきのに託すと、智史は彼女が作った雪玉の歪な形を少し整え、もう一つの雪玉をそれに乗せた。
「まーま!」
 悠一郎が嬉しそうな声をあげる。
「顔に出来るものが何かないかしら」
「普通は炭なんかでやるんだけどな・・・石かなんかないか?」
 あきのは少し思案して、そういえば、とプランターの底に石代わりに敷くチップの存在を思い出し、それを取ってきた。
「これ、使えないかな?」
「お、いいんじゃねえ?」
 何とか使えそうな形を選り分けて、あきのは雪だるまに目や眉、口をつけていく。
「出来た!」
 あきのがはしゃいだ声を出すと、悠一郎も笑い、智史も口元に笑みを浮かべた。
「やったじゃん」
「うん、楽しかった! こんな風に遊べるなんて、悠ちゃんと智史のお蔭だね」
 あきのは嬉しそうに言い、悠一郎のほっぺに軽くキスをする。そして、背伸びをして智史の頬にも。
「お、おま・・・っ!」
 突然の不意打ちに、智史は瞠目して一瞬固まる。
「ありがとう、智史。さあ、寒いからおうちに戻ろう。悠ちゃん、おいで」
 あきのは智史の腕から悠一郎をもぎ取ると、歩き出す。僅かに火照った顔を見られないように。
「・・・覚えてろよ」
 小さく小さく呟いて、智史はあきのを追った。








END








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