年越しの日





 大晦日の日、あきのは日勤だった。
 智史はすでに休みに入っていたので、掃除機程度の軽い掃除をして、夕食をどうしようかと考えていた。
「一応、年越しだしなあ・・・ただ、あきのは明日も仕事なんだよな・・・」
 あきのの休みは2日なので、その日は昼に椋平家、夜は大麻家に行くことになっている。
 元日はあきのを送り出した後、そのまま自宅でのんびりするか、帰省してきている俊也に会うか、大学の時の友人に会うかだと考えているが、俊也は妹の志穂とデートの可能性があるので、難しいかもしれない。
 そんなことをぼんやりと考えていると、携帯が音を立てた。
「はい」
「・・・智史? お母さんだけど」
 電話の相手は知香だった。
「何だよ、母さん」
「確か今日、あきのさんは仕事だったわよね? よかったら、うちのおせちを取りに来ないかと思って。それとも、どこかで予約してある?」
「いや、特に頼んではいねえけど・・・いいのか? もらいに行っても」
「勿論よ。・・・なら、お重に詰めて用意しておくから来なさいね。あきのさんが帰宅する前に整えておいてあげなさい」
「判った。じゃ、もう少ししたら出るわ」
 智史は通話を切って、出かける準備をした。
 大麻家までは電車で5駅だ。ついでに夕食の買い物をすればいい。
「・・・今はそこそこいい天気なんだが、夕方から冷えるらしいしな・・・あったかいもんがいいだろうな」
 ひとりごちて、智史は家を出た。



 大晦日のスーパーの混雑は半端ない。
 しかも、並んでいる食材はおせち関連のものが大多数で、それ以外の選択肢はないに等しかった。
 ともかく、形だけでもと蕎麦を買い、簡単につまめるようなものを作るための食材を少し買い求めて、大麻家に行くと、知香が2段の重箱を用意してくてれいた。
「お雑煮くらいは作れるでしょ、智史。一応、下煮してあるお野菜も入れてあるから、お餅とお出汁は用意なさい」
「ああ、サンキュ、母さん。餅って、あったかな・・・あきのが買ってたような気はするけどな」
「・・・家に帰ってなかったら、それくらい買いに行きなさいな。とにかく、あきのさんによろしくね」
「判った。また2日に来るわ」
「ええ。楽しみにしてるわね」
 笑顔の知香に送られて、また電車に乗り、家に帰る。
 あきのの帰宅まで、まだ2時間近くある。食品のストッカーをチェックすると、個包装になったお餅があるのを見つけた。
「これなら明日の朝、雑煮が作れそうだな」
 結婚してから、智史も随分料理をするようになった。とは言っても、知香のようにきちんと出汁を取って、などということは出来ない。そこは、市販のつゆとか白だしというものを活用している。
 今夜の蕎麦も、温めれば良いだけの簡単なものだ。
 それでも、買ってきたレタスやベビーリーフで小さなサラダにローストビーフを添えて、あきのが大好きなケーキショップの抹茶のチーズケーキも用意した。
 洋と和が混ざったやや奇妙な献立になったが、年越しを味わいながら軽く飲んで過ごすには丁度良いものだろうと思う。
 自宅でなら、あきのが少しアルコールを口にしても問題はない。どのみち、明日も仕事のあきのに沢山を飲ませる訳にはいかないのだから。
 そんな風にして支度をしていると、夕方の5時になったのに気付く。
「もうこんな時間か」
 智史は食事の支度を中断して、風呂の準備を始めた。
 看護師の仕事は立ちっぱなしでいることが多い。帰宅してすぐに入浴して疲れを緩和させてほしいとの気遣いだった。
 浴槽にお湯が張れた頃に、玄関の扉が開く。
「ただいまー」
「お帰り、あきの」
「疲れた~。普段よりは随分マシだったけど」
 コートを脱いでダイニングに入ってきたあきのは苦笑いだ。
「年末年始は一時帰宅する人もいるからなぁ。ただ、看護師も最小限になっちまうから負担は変わんねーよな」
「そうなんだよね~。でも、今日は急変もなかったし、概ね平和だったから良かった。・・・やっぱり、出来るだけ元気で新年を迎えてほしいものね」
「だな。・・・風呂、入れるぞ。先に入ってこいよ」
「ありがとう~。智史は?」
「俺は後でもいい。何なら一緒に入るか?」
「ええっ!? や、それは、あの・・・」
 あきのが頬を真っ赤に染める。
 結婚して半年近く経った今も、こういう初々しいところは変わらなくて、智史は口元だけを引き上げた笑みを浮かべる。
「俺は全然構わねーよ? お前の髪と背中、洗ってやろうか?」
 一緒に入りなどすれば、ただ洗ってもらうだけで終わる訳がない。あきのは慌てて首を振った。
「い、いい。じゃあ、お先に入らせてもらいます」
「・・・ああ、そうしろ。その間に飯の支度すっから」
「えっと、今日の夕食って、準備に時間かかるもの?」
「いんや。蕎麦だからたいしてかからねえよ」
「なら、智史も食事の前に入っちゃえば? その方がゆっくり出来そうじゃない?」
「まあ、そりゃあ・・・とにかく、お前は先に入ってこい。俺はその間に考えるから」
「うん。ありがとう」
 時間的には智史も入浴してからの食事となっても遅い訳ではない。
「少し飲むなら、先に入っちまう方がいいか、俺も」
 サラダ以外の、切るだけのテリーヌやミニトマトなどを皿に盛りつけてラップをし、サラダと共に冷蔵庫に片付けておいてから、智史も入浴する準備にかかる。
 あきのがほぼ全部を洗い終えて浴槽に浸かった頃合いを見計らって智史も浴室に入った。
「・・・えっ、智史!?」
「時間の有効活用。俺が洗ってる間、ゆっくり浸かって、俺が入る時に上がればいいだろ、お前は」
「や、まあ、そうだけど・・・」
 あきのは軽い溜息をつく。
 智史にはそういう感情はないのかもしれないが、自分はやっぱり恥ずかしいのだ。彼の前で肌を晒すのは。
 にごりタイプの入浴剤が入れられているのがせめてもの救いかもしれない。
 あきのは再度小さな溜息をついて、智史が洗い終わるのを待った。
「・・・・・そろそろ、いいか」
「あ、うん。代わるね」
 タオルで前を隠すようにして立ち上がったあきのは、浴槽から出ると智史にふわっと抱きしめられ、耳元に口づけられる。
「さ、智史!?」
「お前とゆっくりは飯の後、な」
「う・・!」
 絶句したあきのに、智史はニヤリと笑うと湯の中に体を沈めた。
 あきのはざっとシャワーを浴びて、逃げるように浴室から出る。
「も、もう・・・智史ったら・・・!」
 小さく呟くと、あきのは手早く部屋着を身に着ける。
 明日も仕事だということで下着はごく普通のものを選んだが、智史の言葉を受けるなら、もう少しオシャレなタイプに替えた方が良いかもしれないとも思う。
 しかし、それでは期待をしているようで気恥ずかしい。
「・・・明日も仕事だもん、いいのよ、これで」
 半ば無理矢理に自分を納得させて、あきのは髪を乾かす。
 そうしていたら、智史が上がってきたので、あきのはその場を彼に譲り、キッチンへと移動した。
 冷蔵庫を覗くと、盛り付けの済んだ皿が2つ入れられいているのが判る。
「うわ・・もう用意してくれてるんだ」
 いくら智史が休みだと言っても、彼にばかり食事の支度をさせているのは申し訳ない。
 けれど、これから何をどうしたら良いのかも判らないので、とりあえず、テーブルを拭いたり、箸を並べたりした。
「・・・待たせたな。これからすぐ支度するわ」
 髪をタオルでがしがしと拭きながら智史が出てきた。
「あ、教えてくれたら私がやるよ? 智史にばかりさせてたら申し訳ないもの・・・」
「いいから。お前は明日も仕事なんだし、やってくれるなら片付けの方頼む。後は蕎麦を作るだけだからすぐだ」
「・・・そっか。今日は大晦日なんだものね」
「ああ。スーパーもそういうのばっかしか売ってなくてな・・・そうだ、冷蔵庫の皿、出しといてくれ。それと取り皿」
「うん」
 智史は蕎麦を完成させるとテーブルに並べ、グラスと冷やしておいた白ワインも取り出した。
「お前も少し飲むか?」
「えっと・・・ほんの少しなら」
「2人で迎える初めての年越しだからな・・・とりあえず、蕎麦食ってからゆっくり飲もう」
「うん」
 海老天の乗った蕎麦を食べ、それからゆっくりとサラダやテリーヌをつまみつつ、ワインを楽しむ。
 アルコールが入ることで、あきのの白い頬がピンク色へと変化し、艶が増す。
「・・・相変わらず、弱いな、あきのは」
「・・・だって・・・外飲みは禁止されてるし・・・家でも、なかなか、飲む機会なんてないもの」
 あきのが少し恨めしそうに智史を睨む。
「・・・まあ、そりゃそうだけどよ・・・お前のそのカオ・・・」
 程よく染まった頬に、僅かに潤んだ瞳で上目使い。これは誘われていると解釈しても仕方がないと思う。
 智史はあきののワイングラスを取り上げた。
「年越しの時間にはきっと爆睡だな、お前は」
「ええ~、それどうい・・・」
 あきのの言葉は智史の口づけに封じられる。
 夫婦の密事に誘うキスは甘く深く、あきのの思考を麻痺させていって。

 
 結婚して初めての年越しは深い眠りの中で迎えることになった。
 
 

                                           END
  




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