紫陽花の庭







 
 世界中を震撼させた新型のウィルスの流行も一応の落ち着きを見せ、医療関係者の厳しい行動制限もようやく収束を迎えた。
 まだ、自主的感染対策は必須であるものの、旅行に行ったり、会食をしたりも出来るようになったことで、智史とあきのも、数年振りに京都の佐藤家を訪ねる計画を立てた。
 丁度雨の時期に差し掛かるが、少しでも人混みを避けるためだ。
 多少蒸し暑くてもマスクは必須、手指消毒用のアルコールスプレーも持参。
 除菌シートも準備して、必要に応じて使えるようにしてある。
「雨の時期の京都も悪くないよね、きっと」
「まあ、なあ…降り方によるよな、多分。時々降るくらいなら、観光も出来そうだし」
「そうなのよね。1番の目的は佐藤のお祖父様とお祖母様に会うことだし、雨の具合を見ながら予定立てれば何とかなりそうだもの」
「だな」
「あと、智史が前に教えてくれた、紫陽花の綺麗なお寺にも行ってみたいな。紫陽花なら、雨でも似合うし」
「ああ…三室戸寺か。それなら、ばあちゃんちから歩いてでも行けるしな」
「小雨くらいなら行けるよね、きっと。楽しみだわ〜」
 あきのの満面の笑みに、智史の口元にも笑みが浮かぶ。
 今年は5月が暑かったからか、夏の初め頃に咲く花も蕾をつけている。智史は花の名前など知らないが、青系の色合いだったような気がする。
「新幹線のチケット予約して、ばあちゃんにも電話しとくな。天気みながらだが、他の行きたいトコも考えとけよ、あきの」
「うん!よろしくね、智史」




 予定の日は、どんよりとしてはいたが、雨は降っていなかった。
 昼前に京都に着く時間の新幹線に乗り、あきのは久しぶりの旅に胸を踊らせていた。
「昨日までの雨が止んでくれて良かった〜」
「ああ。台風の影響もあって、結構キツく降ってたからな」
「ホントに。まだ梅雨入りして間もないくらいに台風が近づくなんて思ってなかったものね」
「異常気象もいいトコだよな、全く」
「うん。…まあ、あまり大きな被害も出なかったみたいだし、良かったよね。最近の雨の降り方って普通じゃないから…」
「そうだよな」
 ゲリラ豪雨や線状降水帯などと言われるものが騒がれるようになったのもここ10年程の話だ。
 幼少期には、こんな降り方はしていなかったように思う。
 智史は重い溜息をついた。
「…まあ、とにかく、折角のお休みなんだし、行きたいところに行けたら嬉しいな」
「…だな。…で、三室戸寺以外に行きたいトコ、決めたんか?あきの」
 智史の問いかけに、あきのは目を輝かせた。
「あ、うん!出来たら銀閣寺に行きたいの。あと、永観堂と」
「銀閣に永観堂か…今は紅葉の時季じゃないぞ?」
「うん、勿論判ってるよ。紅葉も良いけど、青紅葉もステキだよ、って聞いてて。だから見たいなって思って」
「へえ…誰に?」
「佐藤のお祖母様に」
「ばあちゃんが?…へえ…」
 祖母の愛美がお寺に行っている、というイメージがなく、智史は意外だと思った。
「うん。何かね、お友達と一緒に行かれたみたい。久しぶりの同窓会だったんですって」
「成程…友達とならあるかもな」
 クリスチャンである祖母がお寺に参拝する筈がなく、祖父や家族と訪れることなどあり得ない、と思ったが、友人との付き合いならば納得だ。
「お祖母様のおすすめなら、きっとハズレはないだろうなって思うし・・・明日は確か、曇り時々晴れの予報でしょ? 明日行けたらいいな」
「なら、そうするか。きょうはまず、ばあちゃんちに行って荷物置いて、それから三室戸寺に行ってみるか」
「うん、それでいいよ、智史」
 そうこう話しているうちに、新幹線は京都駅に到着した。
 智史はその時点で祖母に電話をし、今から向かうことを伝える。
「昼ご飯準備してるからそのまま来いって」
「甘えちゃっていいのかな」
「いいって。そんだけ楽しみにしてくれてたんだよ、ばあちゃんも。数年ぶりだからな」
「そうだね。えっと、確か・・・」
 記憶を頼りに、在来線の連絡口に向かうあきのを見ながら、智史は笑みを浮かべる。
「ちゃんと覚えてんじゃん、あきの」
「合ってる? 智史」
「ああ。1人でも来られそうだな」
 最寄り駅までの在来線に無事に乗り込み、智史とあきのは途中の稲荷駅での降車客の多さに瞠目した。
「半分以下になっちゃったね、お客さん」
「ああ・・・外人に人気らしいって聞いてはいたけど、すげーな」
 がらんとした車中で、2人はゆっくりと座って佐藤家の最寄り駅に辿り着く。
 駅から佐藤家までの道沿いの風景はほとんど変わりなくて、あきのはホッとした。
 佐藤家に着くと、僚一と愛美に笑顔で迎えられる。
「お久しぶりです、お祖父様、お祖母様」
「いらっしゃい、あきのさん。会えて嬉しいわ」
「智史も元気そうだな」
「ああ、じいちゃんとばあちゃんも元気そうで良かったよ。母さんと親父がよろしく伝えてくれって」
 両親から託されたものと、あきのが選んだお土産を僚一に手渡すと、愛美が昼食を用意してくれる。
「わあ・・・美味しそう」
 涼しげで野菜がたくさんトッピングされたそうめんに、茄子の小鉢が添えられていた。
「蒸し暑いからおそうめんにしたんだけど・・・あきのさん、嫌いじゃなかったかしら」
「大好きです。お野菜がたくさんなのも嬉しいです」
「そう?良かったわ」
「何かそうめんって言うより、サラダみたいな見た目だな、ばあちゃん」
「ええ。今ね、麻衣が好きでよく作るらしくて。先週教えてくれたのよ」
「へえ、麻衣伯母さんが。もしかして、それも諒にいの嫁さんから来たんじゃねえ?」
「もしかしたらそうかもしれないわね。美夜子さん、管理栄養士だからねえ」
 さっぱりとして食べやすく、美味しいランチに舌鼓を打ち、冷やした緑茶を飲みながら、智史はこれからの予定を愛美たちに伝えた。
「そう、これから三室戸寺に行くのね」
「ああ、そうしようと思ってる。歩いて行けるだろ、ここからなら。・・・で、明日は京都市内を見に行こうかと思ってる。天気次第だけどな」
「歩いて行けるけど・・・それなりに遠いんじゃない? 電車で行けばいいのに」
「帰りは電車使うさ。住宅地の中だけど、あきの、花を見るのが好きだし、確か、庭とか綺麗にしてる家多いじゃんか、行く道の途中って」
「私は大丈夫ですよ、歩くの。仕事中は立ってることの方が多いですし、病棟の移動とかって、結構距離あるので、意外に歩くんです、普段から」
「そう? なら、気をつけてね」
 愛美と僚一に見送られて、智史とあきのは佐藤家を出た。
 坂道を下り、昔ながらの細めの道を歩く。
 雲の色は少し明るくなり、合間から日差しも漏れ出してきていた。
「雨は降らなさそうだな」
「うん。その分、ちょっと暑くなりそうだけど」
「そうだな・・・ちょっと距離あるけど、大丈夫か?ホントに」
「そんなに遠いの?」
「30分くらいだな。ま、途中にコンビニもあるし、そこで休憩しもって行けば問題ないだろ」
 話しながら歩いていくと、様々な住宅の庭に、紫陽花や百合などの花が咲いているのが目につく。
「智史が言ってた通り、お花の綺麗なおうちが多いね」
「だろ? 電車は便利で早いが、こういうのをゆっくりは見られないからな」
 途中のコンビニでお茶を買い、ひと休みしてから、2人は山手に向かって歩く。それなりに人通りが増え始めて、智史は眉を顰めた。
「平日の午後なのに・・・意外と人が多いな」
「そうなの? 下ってくる人たちはお寺に行ってきた人なのかな」
「多分な。この先に観光出来るようなトコは他にないし」
 緩やかな坂を上って、住宅地が途切れたところに道路があり、その脇には大きな駐車場があって、観光バスも止まっていた。
「着いたの?」
「ああ。ここだ」
 入口付近はそれなりに人だかりがある。智史とあきのはそれを何とか避けて、拝観料を払う窓口に行き、料金を払って中へと入った。
「わあ、かなり傾斜があるね」
「・・・だな・・・こんな、だったか・・・? まあ、子供の頃の記憶だから、アテにはならねーけど」
 それなりの勾配の参道を進むと、紫陽花の庭園が横手に見えてきた。
「わぁ〜、綺麗!紫陽花がたくさん!」
 青に白、濃いめのピンクなど、色とりどりの紫陽花が見える。それなりに広そうだ。
「入口は・・・だいぶ上だな」
 どうやら、本堂へと続く階段の手前辺りがあじさい園の入口のようだ。智史とあきのは特に参拝したいわけではないので、本堂へは上がらず、庭園への道に折れた。
 紫陽花が咲く庭の手前には日本庭園があり、石や青紅葉、松などが落ち着いた雰囲気を醸しだしていた。
「こういうのってお寺の庭らしくていいよね」
「まあ、紫陽花よりはハマってるよな。紫陽花も悪かねえけど」
「うん。好きだわ、こういうの」
「お前らしいよな」
 昨夜まで雨だったらしく、土の道は一部ぬかるんでいたが、その分、花や緑が美しく見えた。
 あきのは目を輝かせてたくさんの紫陽花を眺めて歩く。
 同じような花に見えても、微妙に色合いが違う花があり、その対比の発見が楽しい。
「この真っ白のは確かアナベルよね・・・」
「何だそりゃ。紫陽花じゃないのか?」
「えっと、紫陽花には違いないんだけど・・・これは確か、アメリカから来た品種で、昔からある額紫陽花なんかとは別の種類なの。ほら、葉っぱの感じがちょっと違うでしょ」
「そう、なんか・・・ああ、よく見るとちょっと違うな」
「でしょ? 私もまだまだ知らないことだらけだけど、少しだけ覚えたの。倫子おかあさんがね、好きだって言ってたんだ、アナベル」
「成程な」
 義母が好きな花だから覚えた、というのがあきのらしい、と智史は思った。
 途中にあったお茶屋は少し覗くだけに止め、ひととおりのコースを回って、おおよそ30分ほどで2人は庭園を後にした。
「結局ハートの形の花は判らなかったね・・・」
 そういう形に見える花もある、と事前に聞いていたあきのは、それを探していたのだが見つからないままだった。
「まあ、そのまんまハート形、っていうよりはそれっぽく見える花ってことだから、仕方ないんじゃねえ? 見つからなくても」
「うん、まあ、そうなんだけど・・・」
 帰る前にと立ち寄ったお茶の店で、何気なく自分の撮った写真を見ながら、あきのは目を丸くした。
「智史! これ、なんとなくだけどハートに見えない!?」
「ん? どら」
 智史はあきのの手元を覗き込む。
 言われてみれば、ハート形に見えなくもない紫陽花の花が写し出されていた。
「まあ、見えなくはないよな、これなら」
「よね! うん、そういうコトにしとこう!」
 かなり強引な気もするが、嬉しそうなあきのを見て、智史はそれも有りか、と思い、苦笑した。
「良かったな、あきの」
「うん」
 満面の笑みになるあきのに、智史は連れてきて良かった、と思う。


 久しぶりにのんびりした時間を過ごした2人は 、京都での休日を満喫したのだった。




END






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