日曜日の昼下がり







 昨夜は疲れているはずなのになかなか寝つけなかった。
 修学旅行が終わったのが昨日だということが嘘のようで、それが僅か数日間の出来事だなんて、信じられないくらいに。
 日曜日の正午近くに、あきのは1人で紅茶を飲みながらそんなことを考えていた。
 智史と想いを交し合って、彼の家にお邪魔して、夕食をご馳走になって。彼のお母さんや妹たちと打ち解けて。あきのが今まで生きてきた中で、尤も濃い時間を過ごしたような気がする。
「・・・智史・・・今、なにしてるのかな・・・」
 思い浮かべるだけで、自然に笑みが浮かんでくる。こんなに も温かな気持ちになれる相手と出会えたことは、あきのにとって幸運としか言いようがない。
 今までは学校内以外でも打ち解けられる相手といえば実香子だけで、彼女がいなかったらあきのは独りぼっちのままだっただろう。理恵とも仲はいいが、彼女には知り合ったときには既に年上の彼氏がい たし、彼氏との時間を奪ってまで自分といてほしいなんていうことは、あきのには到底言える筈もなく。
 でも、これからは実香子や理恵だけでなく、智史がいてくれる。
 そう考えるだけで強くなれるような気がしてくる。
 あきのは紅茶を全部飲み終えると、携帯電話をそっと握り締め てゆっくりと開く。
 躊躇したのは僅かな間。
 あきのはゆっくりと智史の家の番号をメモリーから引き出し、そこに電話をかけた。
 呼び出し音が響いてくると、あきのは緊張してごくん、と息を呑んだ。
 5回程の呼び出し音の後で、通話が繋がる。
『はい、大麻です』
  響いて来たのはやさしい知香の声。
「あ、あの、こんにちは。椋平 あきのです。昨日は、どうもありがとうございました」
 少し緊張して話しかける。
『あら、あきのさんなのね。いいえ、いいのよ。私も楽しかったわ。ちょっと待ってね』
 何も言わなくても、知香が電話の向こうで 智史を呼んでくれている。そんな気遣いが嬉しい。
 やがて。
『もしもし』
「あ、智史? あきのです」
 少し素っ気ない口調なのは、もしかしたら近くに知香や志穂たちがいるのかもしれない。そんな想像をしただけで、あきのはごく自然に笑顔になる。
『おう。・・・そろそろかと 思ってたぜ』
「・・・あ、ホント?」
『ああ。・・・今から、迎えに行く』
「・・・いいの?」
『構わねぇよ。門の外で待っててくれ』
「うん。待ってるね」
 あきのは通話を終えると、身支度のチェックをして、財布や携帯をバッグに入れ、電気を消して外に出た。
 これから智史に 会えると思うだけで、心が浮き立つ。
 あきのは鍵をかけて家を出、門扉の前で智史を待った。
 空は綺麗に晴れている。ドキドキと高鳴る鼓動を静めるかのように、あきのはゆっくりと深呼吸をした。
 やがて、自転車に乗った智史が近づいてくるのが見え、あきのは軽く手を振って合図する。
「・・・よう」
 あきのの目の前で自転車を止め、智史はそれから降りた。
 あきのははにかんだ笑みを浮かべる。
「・・・こんにちは」
 今日の智史は黒のハイネックカットソーの上にモスグリーンのコーデュロイのシャツを着、ネイビーブルーのジーンズという格好をしていて、元々細め の体つきを一層スッキリと見せていた。外見だけなら、彼は相当女性の目を引くのではないだろうか。あきのはそんなことを思いながら、智史を見つめる。
「・・・どうした、あきの。具合でも悪いか?」
 問いかけられて、あきのははっとする。
「あ、ううん、何でもない。具合なんて悪くない よ」
 慌てて笑みを浮かべるが、智史は疑いの眼でじろり、と 瞰下してくる。
 あきのは正直に白状するしかなかった。
「あ、あのね・・・智史が、カッコよくて、その・・・みとれちゃった」
「ばっ・・・!な、何言ってんだ」
 智史はさっと目線を上へと逸らした。
 けれど、その目元 がほんのりと朱に染まっている。
 彼がテレているのだと解り、あきのはふふ、と笑った。
「・・・何がおかしい」
 じろり、と睨まれるが、あきのがそれで臆することはなく。
「だって・・・本当のことだもの。智史って、こんなにカッコよかったんだって、なんか、ちょっとビックリしたって いうか、新たな発見したみたいな感じかな」
「・・・お前も、いつもと違う」
  ぼそり、と呟いた智史の言葉に、あきのは目を丸くした。
「・・・え? どこか、変?」
 あたふたと自分の格好を確かめるあきのに、智史は気づかれぬような微かな溜息をつく。
「・・・制服以外のお前、見るの 久しぶりだからな。それに・・・あン時は遠かったし」
「あ・・・」
 智史が言っているのは、泣いていたのを見かけた、という日のことだろう。今日のあきのはココアブラウンのティアードスカートにアイボリーのブラウスという格好をしている。ボートネックのようなデザインなので、インにダークオ レンジのキャミソールを着ていた。
「・・・私の格好・・・変、かな」
 智史の顔を見上げながら不安げに問うと、彼は再びすい、と視線を逸らした。
「・・・いーんじゃねぇか」
「・・・ホント?」
「・・・ああ。その・・・似合ってるぜ」
 最後の部分はごく小さい声だったが、あきのには聞き取 れた。
 それで、納得する。智史が決してお世辞は言わないことが判るから。
「ありがとう、智史」
 あきのが微笑んで言うと、智史は軽い咳払いをして、彼女へと視線を戻した。
「・・・で、どうする? お前、どっか行きたいとことかあるか?」
「あ、えっと・・・」
 問われてみて 気づく。会えることが嬉しくて、会ってからどこへ行くか、などということには全く気が回らなかったことに。
「えっと・・・特に、考えてなかった・・・智史は?」
「俺は・・・お前に合わせるつもりだったし・・・」
 昨日は強引に智史の家に連れ帰ったから、今日はあきのの希望を聞いてやろうと思っ ていた。だから、智史自身は行き先の希望など、特にない。かといって、このままあきのの家の前でただ突っ立っている訳にはいかないだろう。
 女の子とつき合うのは、あきのとが初めての智史には、気の利いた場所など思いつく筈もなく。
「あきの、お前、普段の休みは何してたんだ」
「え っと・・・そうね、大抵自分の部屋か、公園でボーッとしてたかな。実香子が泊まりに来てくれてたり、実香子の家に泊まらせてもらったりした時は、一緒に買い物行ったり、遊びに行ったりもするけど・・・一人の時は、あまり出歩かなかった」
 寂しそうな笑みのあきのの頭を、智史は軽くポン、と叩く。
「・・・俺も大差はねえな・・・俊也と一緒じゃなきゃ、家でゴロゴロ・・・は、なかなかさせてもらえねぇけど」
「ふふ。志穂ちゃんや香穂ちゃんが智史を放っておかないってこと?」
 可愛い双子の様子を思い出し、あきのは笑顔になる。
「違うって。あいつらの時もあっけど、うるせーのは母さん。家 の仕事、あれこれ手伝えって言ってくるしな。ま、親父がいねぇことが多いから、力仕事が俺に回ってくんのも、仕方ねえんだけどよ」
「・・・おじさまは、お仕事?」
「ああ。親父、野球部の顧問してっからな。土日は部活だよ」
「野球部の顧問なの? じゃあ、忙しいよね・・・」
 公立高校でも 私立高校でも、野球部というのは甲子園を目指して熱心に練習する部活の筆頭とも言えるところだ。そういう部の顧問なら、土日がないのも頷ける。
「智史が小さい頃からなの?」
「・・・ああ。ま、それでもな、全く休みがないって訳でもなかったし。それに、母さんは夏休みなんかはべったり家にいた し、親父がいなくてもどうってことなかったよ、俺は」
「そっか・・・おばさまが、いらっしゃるもんね・・・」
 温かい、包むような笑みを湛える知香の顔を思い出し、あきのは再び寂しそうな笑顔になった。
 そんなあきのの様は、智史の心を切なくさせる。
「・・・なあ、あきの」
「何? 智 史」
「俺・・・お前のこと、ロクに知らねえんだよな。そりゃ、まともに知り合ってからそんなに日が経ってねえから、当然なんだけどよ・・・」
「・・・うん、そうだね・・・私も、あまり良くは知らないもの、智史のこと」
 互いの視線が合う。真っすぐに、お互いを捉える瞳には、お互いしか映っていない。
「・・・とりあえず、公園にでも行かねぇか? 俺たち、もっと話しした方が良さそうだ」
「うん・・・そうね」
 智史の提案に同意したあきのが頷くと、2人はゆっくりと海の方向に歩き出した。

           





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