与板城

所 在 地  新潟県長岡市与板町与板 別 名  直江城
遺 構  曲輪 土塁 堀切 井戸   形 式  山城
築 城 者  直江信綱 築 城 年 天正5年(1577)頃
歴 史 与板城は直江氏の居城。直江氏は上杉氏(長尾氏)の重臣であり、本与板城を本拠としていたが、直江信綱のとき、天正5年頃に与板城の築城を開始し、本与板城から移った。
天正6年(1578)に上杉謙信が死去した後の、上杉景勝と上杉景虎が跡目を争った御館に際して、直江信綱は景勝に味方した。与板城は景虎方の本庄秀綱に攻められたが、死守し、これが景勝側の勝利につながったといわれる。
天正9年(1581)に直江信綱が殺害されると、上杉景勝は側近の樋口兼続を信綱の妻の船と結婚させ、直江氏を継がせた。直江兼続は同年に与板城に入った。与板城は兼続のときに完成された。
慶長3年(1598)に上杉景勝が会津に移封される際に、直江兼続も従い、与板城は廃城となった。
歴 代 城 主  直江氏


本丸と二の丸の間の堀切


  現地解説板の縄張地図

東西約650m、南北約550mに及ぶ大規模な山城。山頂の本丸を中心に尾根に沿って曲輪群が連郭式に配置され、各曲輪は深い堀切で区画されている。


本丸の土塁 二の丸と三の丸の間の堀切


 <アクセス>
与板城跡は、与板の市街地の西の城山の山頂部にある。国道403号線の「千体橋」信号交差点を西に折れ、600m進むと八幡神社前に「与板城跡登り口」の標識が建っている。城跡へは八幡神社を抜けて、整備された山道を10分程。次の三差路を北に入って250m先に、城跡見学者用の広い駐車場がある。(2017.09.04)