柳川城

所 在 地  福岡県柳川市本城町 別 名  舞鶴城
遺 構  曲輪 本丸跡石垣 掘 形 式  平城
築 城 者  蒲池氏 築 城 年 文亀年間(1501-04)
歴 史 柳川城は、蒲池(かまち)氏が蒲池城の支城として築城されたのに始まるとされる。天正9年(1581)、蒲池氏は龍造寺氏に滅ぼされ、柳川城も奪われる。
天正15年(1587)、豊臣秀吉による九州の平定の後、柳川城には立花宗茂が入った。
慶長5年(1600)の関ヶ原の役のとき、立花宗茂は西軍に属し、役後に田中吉政が柳川城に入り、柳川城は大改修された。
元和6年(1620)、田中氏は無嗣断絶し、柳川城に立花宗茂が帰り咲いた。以後明治維新まで立花氏が在封した。
歴 代 城 主 蒲池氏 龍造寺氏 立花氏 田中氏 立花氏12代


本丸の天守台の石垣 本丸東側の石垣


明治維新期には城郭は良好に維持されていたが、明治5年の大火で天守をはじめ主要な建物が焼失された。現在は自然の水掘となった水郷の水路の他には、本丸の一部の石垣が残る程度。


本丸 水掘


 <アクセス>
本丸跡は柳城中学校、二の丸跡は柳川高校となっている。柳川中学校の南に駐車場がある(有料)。(2019.04.24)