八上城

所 在 地  兵庫県篠山市八上殿町 別 名  高城
遺 構  曲輪 石垣 堀切 形 式  山城(比高約250m)
築 城 者  波多野元清 築 城 年  16世紀初頭
歴 史 八上城は波多野氏の居城。波多野氏は石見国の国人・吉見氏の一族であり、母方の姓を名乗った波多野清秀が細川勝元に仕えて応仁の乱で功を上げ、細川京兆家の丹波多紀郡代となった。
波多野氏は高城山の南西尾根先端部に奥谷城を築いていたが、丹波を代表する勢力となった波多野元清は16世紀初頭に高城山山頂部に八上城を築いて、本城とした。
16世紀中旬、波多野元秀は三好長慶と対立し、松永久秀に攻められて一旦落城したが、永禄9年(1566)に奪還に成功している。
波多野秀治は、上洛した織田信長に従ったものの、天正4年(1576)に離反した。しかし、明智光秀に攻められて天正7年(1579)に降伏し、波多野氏は滅亡した。
八上城には明智氏の一族が入ったが、天正10年(1582)の本能寺の変の後は羽柴秀吉の支配下になった。文禄4年(1599)には前田玄以の支配となり、子の前田茂勝が入った。
前田茂勝は慶長13年(1608)に改易され、松平康茂が八上城に入った。しかし翌慶長14年(1809)に篠山城が天下普請で築城され、八上城は廃城となった。
歴 代 城 主  波多野氏5代 明智氏 羽柴氏 前田氏 松平氏


本丸 本丸石垣


現地説明板の縄張図

八上城は、丹波冨士と呼ばれる高城山(標高459m)の山頂部一帯に築かれた、丹波屈指の規模の山城。


本丸石垣 右衛門丸石垣


二の丸 三の丸

 <アクセス>
城跡のある高城山は舞鶴若桜自動車道「丹南篠山口IC」の東約7km。「丹南篠山口IC」を下りて県道306号線に入り、東へ直進する。6km先の「八上下」信号を過ぎ、小さい橋を越えた次の交差点を右折する。200m先の右側に八上城の説明板が立っており、その横が城跡への入り口になる春日神社。神社から本丸まで山道を35分。道はハイキングコースとして整備されており、迷うことはない。春日神社内には車1台置くスペース程度しかないので、途中のコンビニに車を置いて10分ほど歩くのもよし。(2015.11.29)

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