涌谷城

所 在 地 宮城県遠田郡涌谷町涌谷字下町3−2 別 名  涌谷要害
遺 構 曲輪 石垣 隅櫓 形 式  平山城
築 城 者 涌谷氏 築 城 年  室町時代
歴 史 涌谷城は室町から戦国時代にかけて、大崎氏の一族であり、在地豪族の涌谷氏の居城であった。
戦国末期、伊達政宗の領有するところとなり、天正19年(1591)に亘理重宗が入城し、整備された。
元和元年の一国一城令の後も、城は「要害」として存続を許され、明治維新まで亘理(涌谷伊達)氏の居館となった。
歴 代 城 主 涌谷氏 亘理(涌谷伊達)氏


二の丸石垣の上に建つ、太鼓堂(右)と資料館(左)


現地解説板の城絵図

涌谷神社のあるところが本丸であり、その南から東にかけて二の丸が配置されている。西側は江合川が天然の堀となっており、二の丸の東側に水堀が設けられていた。
現在、二の丸の一部が城山公園となっている。太鼓堂は現存建造物。天守風の資料館はもちろん模擬。


太鼓堂(天保4年(1833)再建 現存する詰の門石垣(右側の部分)


 <アクセス>
 涌谷城跡はJR涌谷駅の北東0.8kmの城山公園にある。国道108号線の涌谷バイパスから江合川の西側の石巻別街道へ入って北上する。1.3km先の橋のたもとに涌谷城の案内標識があるので、この橋を渡り、すぐを左に折れる。右前方に天守風建造物が顔を出す城山公園が見える。公園内に駐車場がある。(2013.06.10)