打吹城

所 在 地  鳥取県倉吉市東仲町 別 名  倉吉城
遺 構  曲輪 天守台 石垣 竪掘 形 式  山城
築 城 者  山名師義 築 城 年 延文年間(1356-61)
歴 史 山名師義(もろよし)は打吹(うつぶき)城を築き、守護所を田内城から移した。
山名氏は山名師義の代に全国66ヶ国のうち11ヶ国の守護職を得て六分の一殿と呼ばれ、権勢を誇った。しかし明徳2年(1391)の明徳の乱で山名氏の勢力はそがれた。
永正年間(1504-28)に出雲の尼子氏が伯耆に侵入し、打吹城は落城した。さらに永禄5年(1562)に南条宗勝は毛利氏の支援を受けて打吹城を支配下に置いた。
天正8年(1580)、織田軍の羽柴秀吉が山陰に侵攻した際、南条氏は毛利氏を離反し、打吹城は吉川元春により占拠された。天正13年(1585)、羽柴秀吉と毛利氏が和睦し、打吹城に南条氏の一族の南条備前守が入った。
慶長5年(1600)の関ヶ原の役に南条氏は西軍に属して改易となり、打吹城は中村一氏の支配下に入った。
慶長14年(1609)、中村−氏が死去すると幕府直轄となり、元和元年(1615)の一国一城令により打吹城は廃城となった。
歴 代 城 主 山名氏 南条氏 吉川氏 南条氏 中村氏  


主郭の天守台


天守台の石垣 堀切


 <アクセス>
打吹城跡がある打吹山は、倉吉市役所の南側裏手にある。打吹山一帯は打吹公園として整備されているが、山頂の主郭まで1km以上歩く。倉吉市役所の南側の裏手に駐車場がある。(2018.09.12)