采女城
所 在 地 | 三重県四日市市采女町字北山 | 別 名 | |
遺 構 | 曲輪 空堀 土塁 井戸 土橋 | 形 式 | 平山城 |
築 城 者 | 後藤伊勢守基秀 | 築 城 年 | 文応元年(1260) |
歴 史 | 采女城は、後藤伊勢守基秀によって築城されたとされる。後藤氏は藤原系の豪族であり、後藤基秀は文応元年(1260)に三重郡采女郷の地頭職に補任され、宇野部山(采女山)に城郭を築いた。 以来、采女城は戦国時代に至るまで、後藤氏の居城であった。 永禄年間、後藤采女正藤勝のとき、織田信長が伊勢に侵略した。関家と共に織田郡と戦ったが、永禄11年(1568)、采女城は落城した。 |
歴 代 城 主 | 後藤氏 |
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五の郭の虎口 枡形に屈曲している | 一の郭と二の郭の間の空堀 |
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一の郭 一辺が50mほどの略三角形の曲輪。周囲が高い土塁で囲まれている。 |
一の郭の井戸 落城の際に、千奈美姫が戦死した父・藤勝の後を追って身を投げたとの伝説がある。 |
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現地説明板の采女城跡図 標高50〜70mの尾根筋を利用して築城されている。 一の郭の北に二〜四の郭、南西に五〜七の郭、南東に八の郭が、放射状に配置されている。 城跡は、地元の保存会によって整備されており、気持ちよく見学することができる。感謝。 高い土塁、深い堀が印象深い城である。 |
<アクセス> 国道1号線の「内部橋北詰」の信号を北側へ曲がり、川に沿って1.1km。山側に城跡の石碑と案内板がある。ここから山に入る。駐車場はないので、道沿いのスペースに車を停める。(2012.05.13) |