鶴ヶ岡城

所 在 地  山形県鶴岡市馬場町 別 名  
遺 構  曲輪 堀 土塁  形 式  平城
築 城 者  武藤氏 築 城 年  鎌倉期
歴 史 鶴ヶ岡城の歴史は、武藤氏の居城の大宝寺城に遡る。戦国時代には最上氏と上杉氏の争奪の場となり、天正15年(1587)に武藤氏は滅び、慶長6年(1601)に最上氏の支配下に入った。
慶長8年(1603)、大宝寺城は最上義光の隠居城として改修され、鶴ヶ岡城と改称された。
元和8年(1622)、最上氏は改易となり、代わって酒井忠勝が入封し、庄内支配の拠点として鶴ヶ岡を整備拡充した。以後、明治維新に至るが、戊辰戦争では新政府軍と戦い、降伏した。
歴 代 城 主 武藤氏 上杉氏 最上氏 酒井氏12代(14万石→17万石)


二ノ丸堀 本丸土塁


本丸を二の丸が囲み、二の丸を三の丸が囲む典型的な輪郭式の縄張り。城郭建築は、明治に入って取り壊され、残っていない。
現在、本丸と二の丸が鶴岡公園となっている。また藩校の致道館が三の丸跡に移築されている。


致道館


 <アクセス>
城跡の鶴岡公園は、JR鶴岡駅の北西約2km。駅前通りの「鶴岡市日吉町」信号を西に進み、3つ目の信号を南に曲がる。3つ目の信号の東側に広い無料駐車場がある。鶴岡公園はこの駐車場と道を隔ててすぐ。(2016.09.24)