角牟礼城

所 在 地  大分県玖珠郡玖珠町森 別 名  角埋城
遺 構  曲輪 石垣 竪掘 土塁 井戸 形 式  山城
築 城 者  森朝道 築 城 年 弘安年間(1278-88)
歴 史 平安時代に源為朝が築城したのに始まるという伝承があるが、弘安年間に在地領主の森朝道により築かれたとされる。
天正15年(1587)、九州制覇を目指す島津の軍勢により、大友方の森五郎在衛門の立て籠もる角牟礼(つのむれ)城が攻められたが、撃退に成功する。
文禄2年(1593)、朝鮮出兵での失態により大友義統(よしむね)は改易となり、玖珠・日田に毛利高政が入って、角牟礼城を玖珠の拠点とした。角牟礼城はこのとき石垣を多用した近世の城郭として整備された。
慶長6年(1601)、関ヶ原の戦功により毛利高政が豊後佐伯に移った後に、来島康通が入封したが、城を持てない無城格の来島氏は角牟礼城のある角埋(つのむれ)山の麓に陣屋を築き、角牟礼城を放棄した。
歴 代 城 主  森氏 毛利氏


伝三ノ丸の石垣 伝水の手曲輪の石垣


標高576mの角埋山の山頂部に本丸を置き、南西へと二ノ丸、三ノ丸の順に配置した縄張り。要所に高石垣が築かれており、必見。


伝二ノ丸の石垣 伝大手門の石垣


 <アクセス>
角牟礼城のある角埋山は、大分自動車道「玖珠」ICの北北西約3km。「玖珠」ICを下りて国道387号線に入り北上し、1km先の「三島公園」バス停のある信号を左に入り、すぐを右折する。350m先の鳥居が見える突き当りを左折し、道なりに約1km進むと、右手に角牟礼城跡の標識が立っているので、林道へと入る。1.5km先の林道の終点が角牟礼城見学者用の駐車場。この駐車場が三の丸跡。(2017.04.16)