栃尾城

所 在 地  新潟県長岡市栃尾大野町 別 名  舞鶴城 大野城
遺 構  曲輪 堀切 切岸   形 式  山城(標高227.7m)
築 城 者  芳賀禅可 築 城 年 正平年間(1346-70)
歴 史 栃尾城は、南北朝時代の正平年間に、越後守護宇都宮氏の守護代芳賀禅可によって築城されたのに始まるとされる。
上杉氏が越後守護になると、守護代長尾氏が越後を支配し、栃尾城には城代として本庄氏が入った。
天文12年(1543)、長尾景虎(後の上杉謙信)が還俗して栃尾城に入り、本庄実乃(さねより)が補佐した。
天文17年(1548)、長尾景虎は長尾氏の家督を継いで春日山城に移り、栃尾城には本庄氏と宇野氏が配置された。
天正6年(1578)、上杉謙信が死去した後の跡目を上杉景勝と上杉景虎が争った御館の乱が起こると、本庄氏は上杉景虎を支持した。
翌天正7年、上杉景勝が勝利し、栃尾城も攻め落とされ、栃尾城には佐藤氏が城主として配置された。
慶長3年(1598)に上杉氏が会津に移されると、代わって越後に入った堀秀治の家臣の神子田氏が城主となった。
慶長5年(1610)、堀氏は所領を没収され、これに伴って栃尾城も廃城となった。
歴 代 城 主  本庄氏 佐藤氏 神子田氏


本丸


栃尾城は、標高約280mの鶴城山に築かれており、山頂部の本丸と二の丸、その北側の尾根に松の丸、三の丸、五島丸、南西側の尾根に琵琶丸、中の丸などを配置する。各曲輪は深い堀切で区切られている。


本丸東面の切岸 堀切


 <アクセス>
栃尾城跡は、長岡市役所栃尾支所の西南西約1kmの位置。栃尾支所の南側の信号交差点を西に入り、突き当りの信号を北に折れ、次の「山田」信号の二又交差点を左側に進む。道なりに0.5km行くと、「栃尾城跡1.4km先」の標識があるので、南へと入る。次に「栃尾城跡1.3km」の標識があるので、右側の林道に入る。道は狭いが舗装されており、三の丸跡見学用の狭い駐車スペースを過ぎてさらに進むと、本丸見学用の広めの駐車場に達する。解説板の横から山道に入って5分程度で本丸。(2017.09.04)