手取城

所 在 地  和歌山県日高郡日高町和佐 別 名  
遺 構  曲輪 土塁 石垣 堀切 狼煙台 形 式  山城(標高171m)
築 城 者  玉置大宣 築 城 年  南北朝期
歴 史 手取城は、室町時代の南北朝期に玉置大宣により築城されたと伝わる。玉置(たまおき)氏は、紀伊熊野地方の土豪であり、南北朝期には北朝方に属した。そして玉置大宣は和佐に進出して手取城を築いた。
天正13年(1585)、羽柴秀吉が紀州に侵攻すると手取城主の玉置直和は恭順する姿勢を見せるが、抗戦を主張する湯浅直春に攻められ、玉置直和は手取城から落ち延びた。
玉置直和の子の永直は豊臣秀長に仕えて手取城に復帰したが、関が原の合戦には西軍に属して没落し、さらに大坂の陣でも豊臣方に参加した。のち紀州徳川家に仕えたという。
歴 代 城 主  玉置氏


東の丸 二の丸 奥は本丸


現地解説板の縄張り図

城域は東西380m、南北200m。
城山の最高所の本丸を中心に、南側の斜面に二の丸と水の手を設け、東の尾根に東の丸を、西の尾根に西の丸を配置する。


西の丸と狼煙台 二の丸と西の丸の間の堀切


 <アクセス>
阪和自動車道「御坊IC]を下りて県道27号線に入り、JR和佐駅を目指す。JR和佐駅の前を通過して0.7km先の三叉路を右折する。300m程先の交差点を直進し、道なりに0.7km程進むと、左手に手取城の案内看板がある。ここが城跡への入り口であり、本丸跡まで1.2km。城跡まで車で入ることができるが、500mの地点にも駐車場がある。(2014.03.24)