多羅尾代官陣屋敷

所 在 地  滋賀県甲賀市信楽町多羅尾 別 名  多羅尾代官所
遺 構  曲輪 石垣 形 式  陣屋
築 城 者  多羅尾光好 築 城 年  寛永15年(1638)
歴 史 多羅尾氏は、鎌倉末期より信楽に勢力を持った甲賀武士であり、室町期には六角氏に属した。長享元年(1487)の室町将軍足利義尚による六角高頼攻めの際に、将軍方に付いた小川城の鶴見成俊を攻め、多羅尾氏は小川城を攻略し、信楽での覇権を握った。
六角氏が織田信長に敗れて没落すると、多羅尾氏は織田氏に仕えた。天正10年(1582)の本能寺の変に際して、徳川家康が甲賀・伊賀を越えて領国に逃げ帰るとき、多羅尾光俊は家康一行を小川城に保護した。文禄4年(1594)、豊臣秀次の切腹事件の際、秀次と縁戚関係にあった多羅尾氏は連座して改易となった。
慶長5年(1600)、多羅尾光俊は徳川家康に召し出され、その子の光太は関ヶ原の戦いに家康に随行した。光太を継いだ多羅尾光好は寛永15年(1638)に代官に任命され、屋敷内に代官陣屋を設けた。
以後明治維新に至るまで、多羅尾氏が11代にわたって代官職を世襲した。
歴 代 城 主 多羅尾氏11代


陣屋敷への入り口


 <アクセス>
信楽高原鉄道「信楽駅」の南西7.5kmの多羅尾集落にある。国道422号線の「江田」信号交差点から西へ100mの交差点を「多羅尾」への標識に従って南に折れ、道なりに8km進む。道路の右側に解説板が立っている。その手前に見学者用の小さな駐車場がある。私有地のため非公開であり、立ち入ることはできない。春と秋に一般公開しているとか(2016.01.11)

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