高原諏訪城

所 在 地  飛騨市神岡町殿和佐保 別 名  
遺 構  曲輪 堀切 土塁 形 式  山城(標高620m)
築 城 者  江馬氏 築 城 年  14世紀末〜15世紀初
歴 史 高原諏訪城は、北飛騨に勢力を張った江馬氏の居城であり、麓の下館に対する詰の城として機能した。築城年代ははっきりしないが14世紀末〜15世紀初め頃と考えられている。
南飛騨を支配した三木(みつき)氏は天正年間に入って北飛騨に勢力を伸ばし、天正10年(1582)に江馬輝盛は三木自綱(よりつな)と激突した。江馬輝盛は高山の荒城川で三木自綱に敗れて討死し、高原諏訪城も落城した。
天正12年(1584)、江馬氏傍系の時政が江馬氏の再興をはかり、飛騨に侵攻して三木氏を滅ぼした金森長近に協力するが、江馬時政は天正13年(1585)10月、賞罰に不満を持って一揆を起し、金森長近に滅ぼされた。以後高原諏訪城と廃城になった。
歴 代 城 主  江馬氏


堀切 土塁


高原諏訪城は、高原郷(神岡町)を北西に見下ろす通称城山の山頂部(標高620m、比高130m)に築かれている。
最高所に本丸とその周囲を囲む二の丸とからなる主郭を配置し、尾根伝いに南側のピークに副郭を置き、尾根は何か所もの堀切で分断されている。


二の丸 本丸


 <アクセス>
高原諏訪城のある城山は、飛騨市神岡町の市街地から南東に小高く見える山。神岡町の市街地を南北に縦断する国道471号線の「江馬町」交差点を東へ折れ、100m先の角を道なりに右折する。約800m先の変則的な十字路を折り返すように左折し、坂道を上がる。約1.7km走ると、左カーブの右手に城址碑がある。ここから山道に入ると城跡へはすぐ。駐車場はないので、城址碑の前に車を押し込むか、近くの道路脇の待避所に車を置く。江馬下館に縄張り図付きのパンフレットがあるので、先に江馬下館を訪れてパンフレットを入手することをお勧めする。(2013.05.13)

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