末森城

所 在 地  石川県羽咋郡宝達志水町南吉野 別 名  末守城 末盛城
遺 構  曲輪 土塁 形 式  山城(標高138m)
築 城 者  土肥親真 築 城 年  16世紀半ば
歴 史 詳しくは不明だが、畠山氏の家臣の土肥親真によって16世紀半ばに築城されたと考えられている。土肥親真は、天正5年(1577)に侵攻してきた上杉謙信に降伏し、そのまま城主として配された。
天正8年(1580)に織田軍団の柴田勝家が加賀に侵攻すると、土肥親真はこのときも降伏し、前田利家の与力となり、末森城は前田利家が支配した。
天正12年(1584)、越中の佐々成政が加賀に侵入し、末森城を攻めたが、城主の奥村永福が死守した(末森城の戦い)。
元和元年(1615)、一国一城令により末森城は廃城になる。
歴 代 城 主 土肥氏 奥村氏


本丸 二の丸


現地解説板の縄張り地図

標高138mの末森山の山頂部一帯に曲輪が配置されている。
本丸、二の丸、三の丸、若宮丸が連格式に連なる。


 <アクセス>
国道159号線の国道471号線の上を交差する地点の北側の交差点に「末森城跡」の大きな看板がある。この交差点を西へ入るとすぐ左手に、末森城の説明板と駐車場がある。駐車場の前の細い道が城跡に通じる。国道159号線の上を跨ぐ陸橋を超えたところが城跡への入口。本丸まで山道を10分。陸橋の手前にも数台の駐車場がある。熊に注意の看板あり。(2012.10.09)

日本の城目次へ戻る