白石城
所 在 地 | 宮城県白石市益岡町1−16 | 別 名 | 益岡城 |
遺 構 | 曲輪 移築門 石垣 土塁 復元天守・門 | 形 式 | 平山城 |
築 城 者 | 蒲生郷成 | 築 城 年 | 天正19年(1591) |
歴 史 | 白石城の起源は、後三年の役(1083-87)で戦功のあった刈田氏が白石の地を賜って築城したのに始まるといわれ、その後、白石氏、さらに伊達氏により支配された。 天正19年(1591)、豊臣秀吉は白石を伊達氏から没収して、会津若松と共に蒲生氏郷に与え、氏郷は家臣の蒲生郷成に白石城を築城させて城主とした。 慶長3年(1598)、白石は上杉領となり、上杉家家臣・甘粕清長が城主として入った。 慶長5年(1600)、関ヶ原の戦いの直前に伊達政宗は白石城を攻略し、再び伊達氏の支配するところとなり、家臣の石川昭光が城主となった。 慶長7年(1602)、白石城は伊達氏の重臣の片倉小十郎景綱に与えられ、大改修がなされた。元和元年(1615)の一国一城令の後も、仙台藩には仙台城の他に白石城も残すことが許され、片倉氏の居城として明治維新まで続いた。 |
歴 代 城 主 | 刈田氏 白石氏 伊達氏 蒲生氏 上杉氏 石川氏 片倉氏(1.8万石) |
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復元天守 | 復元大手門 手前:一の門 奥:二の門 |
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現地案内図 白石城は、標高76mの丘陵に築かれており、頂部に本丸・二ノ丸・中ノ丸・西曲輪が、中段に沼ノ丸、南ノ丸、巽曲輪、帯曲輪、厩曲輪が配置された。 現在、本丸と二ノ丸は益岡公園として整備されており、天守と本丸大手口一の門・二の門が復元されている。 |
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本丸外郭石垣 | 本丸土塁 |
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二の丸東口門(当信寺に移築) | 厩口門(延命寺に移築) |
<アクセス> 白石城は、JR白石駅の西0.7kmの位置。東北自動車道を白石ICで降りて国道4号線に入り、南下する。4.5km先の白石川を越えて、次の信号を東へ折れる(左折)。500m程先の左側が白石城のある益岡公園。公園の西側や東側奥に駐車場がある。公園の東の市役所の広い駐車場を利用してもよい。(2013.06.10) |