白河小峰城

所 在 地  福島県白河市郭内1番地 別 名  小峰城 白河城
遺 構  石垣 堀 復元櫓・門 形 式  平山城
築 城 者  結城親朝 築 城 年 興国年間(1340-46) 
歴 史 白河小峰城は、結城親朝によって南北朝期の興国年間に築城されたのに始まる。天正18年(1590)、豊臣秀吉による小田原合戦後の奥州仕置で白河結城氏が改易されると、白河は会津領になり、会津領主の蒲生氏、上杉氏、蒲生氏によって支配された。
寛永4年(1627)、丹羽長重が磐城棚倉から入封した。丹羽氏は寛永6年(1629)より白河小峰城の大改築に着手し、寛永9年(1632)に完成した。
寛永20年(1643)、丹羽氏は磐城二本松に転封し、替わって榊原忠次が入封。慶安2年(1649)本多忠義が入封。天和元年(1681)松平(奥平)忠弘が入封。元禄5年(1692)松平直矩が入封。
寛保元年(1741)、松平(久松)定賢が入封する。3代松平定信は老中に就任して寛政の改革を行なう。
文政6年(1823)、阿部正権が入封する。2代正外は兵庫開港問題で老中を罷免され強制隠居。慶応2年(1866)、跡を継いだ阿部正静は磐城棚倉へ転封となり、白河は幕府領となって、二本松・丹羽氏の預かりとなる。
慶応4年(1868)の戊辰戦争では、白河小峰城は奥羽越列藩同盟軍と新政府軍との攻防の舞台となり、落城・焼失した。
歴 代 城 主 結城氏 蒲生氏 上杉氏 蒲生氏 丹羽氏2代(10万石) 榊原氏1代(14万石) 本多氏2代(12万石) 松平(奥平)氏1代(15万石) 松平氏3代(15万石) 松平氏(久松)3代(11万石) 阿部氏3代(11万石)  


復元された御前門と三重櫓 石垣の一部が崩落し、立ち入り禁止


文化5年の城下絵図
小峰ケ岡(標高370m)と呼ばれる独立丘陵に本丸を設け、本丸の南東に二の丸と三の丸を梯郭式に配置した平山城。
現在、本丸と二の丸は城山公園として整備されており、石垣と堀が残る他、三重櫓と御前門が忠実に木造で復元されている。3.11の震災で石垣が崩壊し、本丸内へは立ち入り禁止。


竹之丸石垣 本丸南西の水堀


本丸南面の石垣 3.11震災ので石垣の一部が崩落


 <アクセス>
白河小峰城がある城山公園は、JR白河駅のすぐ北側(裏側)。城山公園の南側に広い無料駐車場がある。例えば国道294号線から白河市内に入る場合、阿武隈川を越えて南下し、次の信号を西に入る。突き当りの三叉路を左折して道なりに右にカーブすると、無料駐車場に着く。(2013.06.112)