白旗城

所 在 地  兵庫県赤穂郡上郡町赤松 別 名  
遺 構  曲輪 堀切 土塁 石積み 形 式  山城(標高440m)
築 城 者  赤松則村(円心) 築 城 年  建武3年(1336)
歴 史 白旗城は、建武の新政の後に後醍醐天皇と対立した足利尊氏に与した赤松円心によって、建武3年(1336)に築かれた。新田義貞を中心とする後醍醐天皇方の軍勢による50余日の攻撃に耐え抜いた堅城である。
白旗城はその後も、播磨・備前・美作の守護大名となった赤松氏の本城として機能した。
しかし嘉吉元年(1441)、5代目の赤松満祐は将軍・足利義教を殺害する嘉吉の乱を引き起こし、白旗城に幕府軍に攻められて落城した。
享徳3年(1454)、赤松則尚が播磨奪回を目指して白旗山城に陣を張った。
永正17年(1520)、播磨守護の赤松義村が、守護代の浦上氏と対立して、白旗山城に陣を張った。
赤松氏の拠点は置塩城に移り、白旗城は重要性を失って廃棄された。、
歴 代 城 主  赤松氏


第一郭(伝・本丸跡)


第二郭(伝・二の丸跡) 第二郭の東側の石積み


第三郭(伝・三の丸) 城郭の西端部の堀切


現地説明版の白旗城平面図

白旗山の標高440mの最高所に本丸を置き、本丸の北側に三の丸を、本丸の南西方向に馬場丸、二ノ丸、櫛橋丸を連ねる。また本丸の東側と二の丸の東側にそれぞれ付郭群を付設する。
現在みられる全長500m近い規模の城郭は、戦国時代に入って整備されたものと考えられている。


<アクセス>
国道373号線の東側の白旗山の山頂部一帯が白旗城。JR河野原円心駅へ入る国道373号線の交差点から1.1km南下(あるいはJR苔縄駅へ入る国道373号線の交差点から2.3km北上)した道路の東側に「白旗城跡」「細野公民館」の案内標識がある。案内標識に従って進み、橋を渡ると、白旗山への登山路に入ることができる。この橋の手前を左側に折れると、川沿いに車を数台置ける空き地がある。白旗山の山頂まで、険しい山道を約50分。しんどさは、山城のなかでも最上級。(2012.05.27)

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