塩見城
所 在 地 | 宮崎県日向市塩見 | 別 名 | |
遺 構 | 曲輪 土塁 虎口 | 形 式 | 山城 |
築 城 者 | 土持氏 | 築 城 年 | 南北朝期 |
歴 史 | 塩見城は土持氏によって築城され、日知屋城、門川城とともに日向三城といわれた。 その後、都於郡城の伊東氏の支配下に入り、伊東氏四十八塁の一つとして機能し、綾民部左衛門義理恒が入った。 また伊東一族の右松四郎左衛門が城主として入ったが、天正5年(1577)に伊東氏が島津氏に追われて豊後に敗走した際に、島津氏の支配するところになり、島津一門の吉利忠澄が城主となった。 |
歴 代 城 主 | 土持氏 伊東氏 島津氏 |
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第1郭 | 第2郭 |
<アクセス> 日豊本線「日向」駅の南西約2km。国道327号線の「中原」信号から西に900mに行くと信号のある三差路となっており、ここを北に入ってすぐを左折すると「城山墓園」へと入る坂道になる。墓地の前を通り過ぎると広場に出るのでここに駐車する。その先200mほどに塩見城の解説板が立っており、ここから山に入ると数分で塩見城に達する。(2018.10.26) |