千頭峯城

所 在 地  静岡県浜松市北区三ケ日町摩訶耶 別 名  
遺 構  曲輪 土塁 堀切 形 式  山城
築 城 者  奥山朝藤 築 城 年  南北朝時代
歴 史  千頭峯(せんとうがみね)城は、南北朝時代に、後醍醐天皇の第八皇子・宗良親王を奉じて戦った井伊氏の拠点の一つであり、井伊氏の一族の奥山氏によって築城されたとされる。
暦応2年(1339)、北朝方の攻撃により、千頭峯城は落城した。
戦国時代に入り、武田氏の遠江侵攻に備えて、徳川家康により改修された。
歴 代 城 主  奥山氏


             本曲輪
東西30m×南北40mの広さ。奥に櫓台状の盛り上がりがある
本曲輪と西曲輪の間の堀切


(現地説明板の曲輪配置図)


山頂部の本曲輪を中心として、北西に西曲輪、北東に二の曲輪、南東に東曲輪、南西に南曲輪を、放射状に配置した縄張り。
今残る縄張りは、徳川家康によって大幅に改修されたものである。


東曲輪 井戸曲輪


 <アクセス>
浜松市北区三ケ日町摩訶耶の摩訶耶寺をめざす。摩訶耶寺の前の南北に走る道を、摩訶耶寺から約800mほど北上し、三叉路を東へ折れる。角に小さい案内標識がある。400mほど進むとトンネルをくぐるが、トンネルを出てすぐ右側に、城の説明板が立つ駐車用の広場がある。城跡はこの広場から北へ10分程度。随所に城の案内標識があるので迷うことはない。(2013.03.24)

日本の城目次へ戻る