篠の丸城
所 在 地 | 兵庫県宍粟市山崎町加生 | 別 名 | |
遺 構 | 曲輪 土塁 空堀 | 形 式 | 山城 |
築 城 者 | 赤松貞範 | 築 城 年 | 貞和年間 |
歴 史 | 篠の丸城は、赤松貞範によって貞和年間(1345年)ごろに築城されたとされる。 嘉吉の変のあと、山名氏の支配をうけたが、赤松政則によって赤松家が再興されると、宇野氏が入城した。 織田勢の中国地方遠征の際に、宇野氏は毛利方に付き、天正8年(1580)、篠の丸城は羽柴秀吉に攻められて落城した。 その後、黒田孝高や木下勝俊が城主となったが、天正15年に木下勝俊が麓に山崎城を築いて移り、篠の丸城は廃城となった。 |
歴 代 城 主 | 赤松氏 宇野氏 黒田氏 木下氏 |
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本丸虎口の土塁 | 本丸跡 |
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土塁と空堀 | 空堀 |
<アクセス> 城跡は、山崎町の最上山公園の北側の山にある。国道29号線の「しそう農協前」の信号を西に折れ、突き当りの三叉路を左に、さらに直ぐを右に曲がり、あとは道なりに進んで、坂道を上がる。三か所目のヘアピンカーブが最上山公園の上の駐車場になっている。この駐車場から数十m先の道路の右手に城跡の山へ入る道がある。ここから歩いて20分で城跡に着く。(2012.05.22) |