三戸城

所 在 地  青森県三戸郡三戸町梅内 別 名  留ケ崎城
遺 構  曲輪 石垣 虎口 形 式  山城
築 城 者  南部晴政 築 城 年 永禄年間(1558-70)
歴 史 三戸城は三戸南部氏の本拠。南部氏は甲斐源氏の流れを汲む加賀美から別れた一族。三戸南部氏は南部氏の宗家とされる。
三戸城は24代南部晴政により永禄年間に築城された。
天正18年(1590)の豊臣政権による小田原平定に、26代南部直政は参陣し、所領を安堵された。
翌天正19年の九戸政実の乱を豊臣軍の助力により平定し、九戸城を与えられ、本拠を移した。さらに慶長2年(1597)に盛岡城を築城を開始し、寛永年間に本拠を移した。
三戸城は廃城とはならず城代が置かれ、その後、代官所が置かれ、明治維新まで城は保全された。
歴 代 城 主  三戸南部氏


鍛冶屋御門跡 鍛冶屋御門石垣


天守風建物の歴史民俗資料館

三戸城は河岸段丘上に造営された山城であり、最高所に本丸を配置する。
歴史民俗資料館は本丸の東の曲輪にある南部彦九郎政直邸跡に建つ。


 <アクセス>
三戸城跡のある城山公園は、JR三戸駅の北北西1.8kmの位置。国道4号線の「松原」信号を東に折れ、650m先の三差路の信号を南に曲がる。750m先の信号を東に折れ、200m先に「城山公園入口」の看板があるので、ここを左(北)に入る。坂道を道なりに800m進むと広い駐車場に着く。(2016.07.21)

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