龍松山城

所 在 地  和歌山県西牟禮郡上富田町市の瀬 別 名  
遺 構  曲輪 土塁 石塁 虎口 空堀 形 式  山城
築 城 者  山本忠行 築 城 年  天文年間(1532-55)
歴 史 龍松山(りゅうしょうさん)城は、室町幕府の奉公衆を務めた紀南地方の領主・山本氏の居城であり、天文年間に山本忠行により築城されたとされる。
天正13年(1585)、羽柴秀吉の紀州侵攻に際して、城主の山本康忠は籠城して三か月持ち堪えたが、和議開城した。しかし翌天正14年(1586)、康忠は藤堂高虎に謀殺され、山本氏は滅んだ。
歴 代 城 主  山本氏


本丸 奥は土塁と虎口 本丸の土塁と石積


現地解説版の図

標高123mの龍松山城の山頂に築かれており、本丸と二の丸からなる。二の丸の下に横堀があり、各曲輪は土塁で囲まれている。


二の丸 奥は本丸 二の丸の土塁と虎口


 <アクセス>
国道42号線からJR紀勢線朝来駅より少し南の「岩崎」交差点を東へと国道311号線に入り、4.5km先のトンネルを抜ける。トンネル出口から1.5km先の左側に龍松山城の縦長の大きな看板が上がっている。ここを左に入り、あとは細い坂道を道なりに登っていくと、城跡に着く。(2014.03.24)