龍王山城
所 在 地 | 奈良県天理市柳本真理 | 別 名 | 十市城 龍王城 |
遺 構 | 曲輪 土塁 堀切 石垣 | 形 式 | 山城 |
築 城 者 | 十市遠忠 | 築 城 年 | 天文2-5年(1533-36) |
歴 史 | 龍王山城は、十市(とおち)遠忠により、天文2〜5年頃に本格的に築城されたとされる。 十市氏は、大和において越智氏や筒井氏に次いで有力な国人であり、遠忠のときに最盛期を迎えたが、跡を継いだ遠勝は筒井順昭に従属し、さらに永禄5年(1562)に松永久秀に降伏した。 永禄8年(1565)、松永久秀が三好三人衆と対立すると、十市遠勝は筒井氏に寝返るが、松永久秀の配下の秋山直国(宇陀松山城主)に攻められ、遠勝は龍王山城を放棄して十市城へ退去した。 天正3年(1575)、松永久秀の甥の久通が十市氏の娘と結婚して龍王山城主となる。 天正5年(1577)、松永久秀は織田信長から離反して敗れ、久通も自害した。龍王山城は翌天正6年、織田信長の命により破却された。 |
歴 代 城 主 | 十市氏 秋山氏 松永氏 |
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北城本丸と辰巳櫓との間の堀切 石垣が露出している |
南城本丸の北虎口の石段 |
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現地解説板の地図 竜王山城は、南城と北城からなる別城一郭の構え。 南城は標高586mの峰に、北城は標高522mの峰に築かれており、南城のほうが高いが、規模は北城のほうが大きい。 南城は十市氏の時代に、北城は松永氏の時代に築かれたと考えられている。 |
<アクセス> 西名阪自動道・名阪国道の天理ICを下りて国道169号線に入り、南下する。3.2km先の「匂田町」交差点を東に折れて国道25号線に入る。6km先の天理ダムの手前の三叉路をそのまま直進して県道247号線へと入る。1.5km進むと右手に竜王山への案内標識があるのでこの三叉路を右折する。ここから対向車とすれ違うことが難しい林道になるが、1.8km先に駐車場がある。駐車場の少し先に龍王山城の案内板があり、ここから北城に入ることができる。南城はさらに林道を1km程歩いた先の山頂。(2014.11.16) |