利神城

所 在 地  兵庫県佐用郡佐用町平福 別 名  雲突城
遺 構  石垣 曲輪 堀切 形 式  山城(標高373m)
築 城 者  別所敦範 築 城 年  貞和5年(1349)
歴 史 利神城は、赤松氏一族の別所敦範によって築城されたのに始まる。その後、200年間別所氏の居城となる。
戦国時代に入り、織田勢の羽柴秀吉が毛利攻めのため播磨に進出すると、城主の別所定道は秀吉に恭順した。しかし、本家筋の三木城主・別所長治が織田方に反旗を翻すと、利神城主・別所林治も同調し、織田方に属していた上月城主・尼子勝久の家臣・山中鹿之助に攻められ、利神城は落城した。
その後、上月城が毛利方に攻められて落城すると、利神城は毛利方の宇喜多直家の支配下に置かれた。
慶長5年(1600)、関ヶ原の戦いに宇喜多氏は西軍に属して改易され、利神城は姫路城主・池田輝政の甥の由之に与えられた。このとき、利神山城は大改修され、三層天守がそびえる現在の石垣造の城となった。
慶長14年(1609)、池田由之は備前・下津井に転出し、このとき天守などは破棄された。
元和元年(1615)、池田輝政の6男の輝興が入封し、平福藩が立藩された。寛永8年(1631)、池田輝興は赤穂藩を継ぎ、平福藩は廃藩となり、利神城も廃城となった。
歴 代 城 主 別所氏、尼子氏、宇喜多氏、池田氏、池田氏(2.2万石→2.7万石)


山頂部の石垣 崩落が激しい 本丸の石垣


二の丸の石垣 二の丸の石垣


麓の、道の駅「宿場町ひらふく」から見上げた利神城跡。

山頂の石垣の上に三重天守が建っていたのであるから、「雲突城」と呼ばれたことも頷ける。

山頂部に本丸、二の丸、大坂丸などの石垣群があるが、石の崩落が激しく、危険な状態になっている。


負傷した登山者の救助活動に遭遇。低山といえども油断できないと自戒する。


<アクセス>
国道373号線沿いの道の駅「宿場町ひらふく」を目指す。道の駅に車を置き、国道を超えて宿場町へと入り、次の角を右折する。交番の前を通り過ぎるとまもなく左手に利神城への標識がある。そこを左折し、川を超えて田んぼの道を進むと、JRの線路を潜るトンネルがある。その横に「山頂は崩落が激しいので入山を遠慮して下さい」との趣旨の警告看板がある。覚悟ができたら、線路を潜る。直ぐに右へ折れ、線路に沿って細い道を行き、そのまま坂道となるので、坂道を登って山へ入る。石垣のある城跡の山頂まで約25分。(2012.05.27)

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