大給城

所 在 地  愛知県豊田市大内町 別 名  
遺 構  曲輪 石垣 土塁 堀切 虎口 形 式  山城(比高120m)
築 城 者  長坂新左衛門 築 城 年  15世紀後半
歴 史 大給城は、15世紀後半に土豪の長坂新左衛門により築城された。
その後、永正年間(1504-21)に松平宗家三代信光が大給城を攻略し、子の親忠に与え、さらに親忠は次男の乗元に与えた。大給松平氏はこの乗元に始まり、二代乗正の永正7年(1510)頃に大給城は大改修され、今に残る姿になった。
以後、乗勝・親乗・真乗と大給松平氏は大給城を居城としたが、六代家乗のとき、天正18年(1590)に徳川家康が関東に移封されるのに従って、上野国に移り、大給城は廃城となった。
歴 代 城 主  長坂氏 大給松平氏6代


大手虎口前の堀切


現地解説板の縄張図

標高207mの山頂に主曲輪を置き、東に二の曲輪、北に水の手曲輪を配置する。主曲輪から南に下がったところに城主館跡と考えられる三の曲輪がある。
各曲輪の主要な部分は石垣で固められている。


二の曲輪虎口西櫓台 二の曲輪虎口東櫓台


主曲輪虎口と石垣 主曲輪石垣


主曲輪 主曲輪の物見岩と北方面眺望


水の手曲輪の水門 水の手曲輪の水溜め石垣


<アクセス>
国道301号線を「九久平町」信号で東に折れるように進み、約1km程先の右側に「大給城址公園」の看板が立っている。ここを右折して林道を行くと、右手に大給城用の駐車場がある。駐車場からさらに林道を進むと右手に城跡へ入る山道があり、城跡はすぐそこ。(2013.10.06)