沼田城

所 在 地  群馬県沼田市西倉内町 別 名  
遺 構  曲輪 堀 石垣 土塁 形 式  平城
築 城 者  沼田顕泰 築 城 年  天文元年(1532)
歴 史 沼田城は、天文元年に沼田顕泰により築城された。
永禄3年(1560)に上杉謙信により攻略され、上杉氏の支配下に置かれるが、天正6年(1578)に上杉謙信が死去すると、北条氏が支配し、さらに天正9年(1581)には真田昌幸が入った。
天正18年(1590)、真田氏所有の名胡桃城が北条方に奪取されたことを契機として豊臣秀吉の小田原攻めが行なわれた。北条氏が滅んだあろ、沼田城は真田信幸に与えられた。
元和2年(1616)、真田信之(信幸から改名)は上田城に移り、沼田城は真田信吉に譲られた。しかし天和元年(1681)、真田信利は改易され、翌天和2年、沼田城は破却された。
元禄16年(1703)、本多正永が入封し、城の一部を復興した。享保17年(1732)、本多氏に替わって黒田直邦が入封した。
寛保2年(1742)、土岐頼稔が入封し、明治維新まで土岐氏が在封した。
歴 代 城 主  沼田氏 上杉氏 北条氏 真田氏 北条氏 真田氏 本田氏(2万石) 黒田氏(2.5万石) 土岐氏(3.5万石)


本丸西櫓台と石段


現地解説板の絵図

北・西・南を川に囲まれた台地の崖上に築かれている。
真田信幸により、拡張整備され、五層天守も建てられたが、天和元年の改易の際にすべて破却された。
その後、城は再建されたが、一部が復興されたに留まる。


本丸堀の石垣 二の丸土塁


 <アクセス>
城跡の沼田公園は、JR沼田駅の北東0.7kmにある。国道120号線の「公園入口」交差点を北へ入り、直進すると突き当りが公園。その手前に駐車場がある。(2014.10.27)