野尻城

所 在 地  岐阜県郡上市和良町宮地・野尻 別 名  
遺 構  曲輪 土塁 堀切 竪堀 形 式  山城
築 城 者  遠藤胤善 築 城 年 応永年間後期(1430-34)
歴 史 野尻城は、堤城の西王手口を守る出城として築かれた。
応仁2年(1468)に美濃の斎藤妙椿が郡上に侵攻した際に、野尻城は落城した。
慶長5年(1600)、遠藤慶隆は郡上奪還のために進軍し、八幡城の戦いの際に野尻城に宿営した。また慶長10年(1605)頃、八幡城主となっていた遠藤慶隆により野尻城は改修された。
元和元年(1615)の一国一城令により、野尻城は廃城となった。
歴 代 城 主 遠藤氏


一の曲輪と土塁 一の曲輪と四の曲輪の間の堀切


現地説明板の縄張図

最高所に設けた一の曲輪の南に二の曲輪と三の曲輪を、東に四の曲輪を、それぞれ堀切を介して配置する。各曲輪には土塁が設けられている。


二の曲輪 三の曲輪と土塁


 <アクセス>
国道156号線の郡上八幡駅近くの「城南」信号を東へ折れ、国道256号線に入る。国道256号線を約20km走る。「郡上鍾乳洞」の前を通って、「和良」道の駅への入り口前を通過すると、600m先に左側に戸隠神社が見える。戸隠神社に入る道の入り口に駐車場がある。城跡へは、戸隠神社に向って左側の「野尻城址散策道入口」から入る。イノシシ除けのフェンスの扉を通過して、約10分で一の曲輪に着く。(2013.10.13)