野田城

所 在 地  愛知県新城市野田本城 別 名  根小屋城
遺 構  曲輪 土塁 空堀 土橋 井戸 形 式  平山城
築 城 者  菅沼定則 築 城 年  永正5年(1508)
歴 史 野田城は永正5年に菅沼定則により築城されたと伝えられ、子の定村、孫の定盈等も居城とした。
永禄3年(1560)に今川義元が桶狭間の戦いで戦死すると、菅沼定盈は今川氏を離反して松平氏に属し、野田城は今川氏に攻められた。
元亀4年(1573)、武田信玄の三河侵攻の際に攻められ、金掘人足の穴掘りにより水の手を断たれて、菅沼定盈は降伏・開城した。しかし武田信玄は直後に病により甲斐へ引き上げ、菅沼定盈は野田城を回復した。
天正18年(1590)、徳川家康の関東移封に菅沼定盈も従い、野田城は廃城となった。
歴 代 城 主  野田菅沼氏


本丸 二の丸


現地解説板の図

本丸、二の丸、三の丸、侍屋敷が直線状に並ぶ。
東西の両側は、川をせき止めた渕で守られていた。


本丸と二の丸の間の土橋 本丸と二の丸の間の空堀


 <アクセス>
野田城跡は、JR飯田線・野田城駅から南西約1.1kmの地点。国道151号線の「川田」信号を北東へ直進し、次の「豊島」信号を南へと折れる(手前に城の案内標識がある)。200mほど先の左手に野田城の解説板が立っており、その裏手が城跡。駐車場はないので、道端に邪魔にならないように駐車するか、近くのコンビニを利用する。(2014.06.29)