七尾城

所 在 地  石川県七尾市古城町 別 名  
遺 構  曲輪 石垣 堀切 形 式  山城(標高300m)
築 城 者  畠山氏 築 城 年 永正〜大永(1504-28)
歴 史 七尾城は、管領家畠山氏の庶流の能登畠山氏の居城であり、永正〜大永年間(1504-28)にかけて築いたといわれる。以後、城は拡張され、難攻不滅の巨大山城になった。
天正4年(1576)に能登に侵攻した上杉謙信に包囲されるが、堅固な城は落城しなかった。しかし翌天正5年(1577)、重臣の遊佐氏の内通により城は陥落し、能登畠山氏は滅亡した。
天正9年(1581)に織田信長の越中侵攻により、城は織田方ものとなり、前田利家が入城した。
前田利家は、海に近い小丸山城に拠点を写し、兄の前田安勝が七尾城代となるが、天正17年(1589)に廃城となった。
歴 代 城 主 畠山氏 上杉氏 前田氏


桜馬場の北面の五段の石垣


本丸 本丸の北側の虎口の石垣


桜馬場 遊佐屋敷の桜馬場に面する土塁の石垣


二の丸の南側斜面の石垣 二の丸と三の丸の間の堀切


現地説明版の復元イラスト

石動山山系の北端部の標高300mの山頂部を中心にした尾根に、本丸、二の丸、三の丸、西の丸などの曲輪を配置する。日本五大山城に数えられる大規模なもの。
主要曲輪には石垣が多用されており、特に調度丸から桜馬場を望む五段の石垣は見事(高石垣を築く技術がなかったとの説も)。


 <アクセス>
七尾市街から南へ延びる国道159号線の「城山登山口」交差点または「藤野町北」交差点を東へ折れ、道なりに進む。七尾城史資料館のある交差点から林道へと入り、約3.5kmで本丸北駐車場(無料)に着く。駐車場から城跡へはすぐ。(2012.10.09)

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