名胡桃城

所 在 地  群馬県利根郡みなかみ町下津 別 名  
遺 構  曲輪 空堀 土橋 土塁 形 式  山城
築 城 者  名胡桃氏 築 城 年  室町期
歴 史 名胡桃城は、沼田氏の一族の名胡桃氏が名胡桃館を築いたのに始まるとされる。
沼田領は天文年間(1532-55)は北条氏の支配下にあったが、永禄3年(1560)に上杉謙信が侵攻し、上杉氏の勢力下に入った。天正6年(1578)に上杉謙信が死去すると、北条氏に奪回された。
天正7年(1579)、武田勝頼の命を受けた真田昌幸は沼田領をに侵攻し、名胡桃館の地にな胡桃城を築いた。真田昌幸は名胡桃城を前線基地として沼田城も攻略し、北条氏と小競り合いを繰り返した。
天正17年(1589)に豊臣秀吉により、沼田城は北条、名胡桃城は真田と裁定が下された。ところが北条方のの沼田城代・猪俣邦憲により名胡桃城が乗っ取られるという事件が起こり、この事件をきっかけに、翌天正18年に豊臣秀吉による小田原攻めが始まった。名胡桃城は北条氏の滅亡とともに廃城となった。
歴 代 城 主  名胡桃氏 北条氏 上杉氏 北条氏 真田氏


本郭 本郭の堀と土橋


現地解説板の地図

名胡桃城は、利根川と赤谷河の合流地点の段丘上に築かれている。
最高部の本郭の南に二郭、三郭、馬出が、北にささ郭が一直線に並び、名胡桃館があった般若郭が谷を隔てて西側に配置されている。


二郭の堀と土橋 三郭の堀


 <アクセス>
名胡桃城跡は、JR上越線「後閑」駅の南西1.3km。関越自動車道・月夜野ICを下りて国道17号線に入り、西に進む。国道に入って1.3km先の「名胡桃城址前」信号を右に折れる。右折したすぐ先が駐車場となっている般若郭。名胡桃城址案内所があり、資料も揃っている。(2014.10.27)